人を斬り伏せるのことなぞ、既に慣れた。
 肉を断ち、骨に刃が食い込む感覚に歯噛みして、刃先がぶれることはないよう手首をしっかり固定する。
 己の肌を染める赤い血飛沫の温かさに目を剥いたのは、遠い昔。
 今では単に粘ついて気持ち悪い代物だ。
 周囲から生き物の息使いが聞こえなくなるのを耳で確認しながら憂うのは、胸ポケットに入れ放しだった煙草が湿気たりしないだろうかということ。
 心臓の上にある胸ポケットだけに傷付くことはないにしろ、注意しなければ返り血が付着したりする。
 制服は黒で、血糊は見えない。
 だから安心しきっていると以前、ビニールに覆われているはずの煙草の箱が湿気って最悪なことになっていたことがある。
 あと一体。
 これを落とせば、一本吸える。
「……っ!」
 気を緩めた瞬間、頬を掠めた銀の光に僅かに目を細め、間合いの短い相手へ距離を詰めて刀を横に薙いだ。
 しまった、と思ったのはその一瞬に背後へ感じた視線で、殺気を込めて振り返り、獲物を構えない立ち姿に面食らう。
 似つかわしくない場所、というのもおかしな表現だ。
 人を斬り伏せるのに、似つかわしい場所など戦場以外ありえない。
 天人の支配を甘んじる今の世で、似つかわしい場所など探すことさえ困難だ。
 素早く辺りに目を走らせ、殺気を向ける気配がないことを確認する。
 初めて人が斬り殺される場に居合わせて足が竦んでしまったのかと思った人影は、怯えのない安定した空気を纏っている。
 背格好からして沖田か或いは万事屋の少女かと思ったが、どうも違う。
 高揚したままの自身を落ち着かせるために煙草を一本咥え、火を点けた。
 刀を鞘へ納めながら、あぁそういえばと思い出す。
「……悪ぃな、また面倒に巻き込んじまって」
「うちのこと忘れてたやろ、土方さん」
 下手に出て謝罪を口にしてやったというのに、しっかり指摘して微笑むに土方は舌打ちする。
「うっせえな、助けてやっただろうが。懲りもせず色街なんぞに連れ込まれる女だなぁ、おい」
「知っとるて、前も言うたはずやけどなぁ」
 皮肉げに言えば此方もまた嫌味が返ってくる。
 紫煙を吐き出し足元に転がる死体を八つ当たるように蹴って、暗い路地から出る。
「こいつらがてめえの上客だって? ふざけたこと言ってっと、しょっ引くぞ」
 無精髭に皺の寄った袴。
 脇に差した物騒な物は出歩いているだけで、銃刀法違反で引っ張ることが出来る連中だ。
 和菓子を好んで買う顔にも見えない。
「正確に言うと、常連さんの用心棒さん達、やね」
「攘夷浪士なんぞ用心棒に雇ってる奴ぁ、碌な奴じゃねえ。そいつの名前、教えろ」
「真選組に乗り込まれるとうちの店の売り上げが減ってしまうさかいに、それは堪忍ねぇ」
 和菓子屋一人を手篭めにするために柄の悪いゴロツキ数人を送り込み、素直に付いて来ているように見せかける女を待つ常連客というのを、土方は見てみたかった。
 そしてそのまま強姦未遂で連行したい。
「土方さんは、こんなところに何しに来てはったんやろ」
「そりゃおめえ、色街に来るっつうことは……野暮だろうが」
 にやりと笑う土方だったが、遊びに来たにしては真選組制服のままだ。
 私服でないということは未だ職務中の意識のままということだ。
 制服で女と戯れるのが趣味だと言われれば納得してやらないこともないが、土方十四郎という人物は意外と真面目であることをは知っている。
 納得した振りで頷くと、舌打ちした土方が顔を背けて煙草を足元に投げ捨てた。
「あぁそうだよ。裏でいかがわしいことやってる奴が今晩ここに来るっつうんで、張ってたんだよ」
「別に……」
 煙草を踏み消す土方を眺め、糾弾したわけではないことを告げようとして止めた。
「もしかしてうちが会う人が、そうなん?」
 巻き込まれたというよりも渦中の人間の可能性が出てきた。
 目を見張るを土方は横目で一瞥し、新たな一本を咥える。
「さあな。あんたが名を明かさねえから確認のしようがねえよ」
「せやったら、今から一緒に行く?」
 どうせ口を割る気はないのだろうと揶揄した土方に、は小さく首を傾げた。
 火を点けたばかりの煙草の先が赤々と燃える。
 じりじりと灰へ姿を変えていく先に意識はなく、土方は笑みを浮かべたままのを凝視した。
「──………………は?」
 たっぷり三十秒は間が空いただろうか。
 半分以上灰と化した煙草をに指摘されて慌てて落とし、訝しむように目を細めた。
「俺を連れてくって? 本気か?」
「冗談。……やったら言わへんよ。相手に対しての牽制にもなるやろし、勿論土方さんが良ければ」
 用心棒は全て土方によって倒され、尚且つ共に来たとなれば、おいそれとに手を出そうなどという気は起きないだろう。
 下手に動けば命の保障がないと脅されているも当然になる。
 警戒と畏怖を与えるには最適だろうが、代わりに信頼を失うことで売り上げに影響したりしないのだろうか。
 和菓子屋の売り上げなど土方には関係ないが、それを重視しているらしい女が提案する話でないことは判る。
 困惑しているというより不審げな眼差しを向けてくる土方に、は視線を徐々に降ろす。
 街灯はあるが人の往来がない路地の入り口、互いの姿ははっきりしている。
「……便利やなあ、黒い服て」
 ふいに呟かれた言葉に土方は眉根を寄せてを見下ろし、、伸ばされた手の動きを注意深く見つめる。
「返り血浴びても目立たんし、汚れも目立たへんもの。せやけど……」
 伸ばされた手が土方の胸元の隊長服に触れた。
 添えた指先を横にずらして行く毎に、白い指先が赤く染まっていく。
 数日前に沖田が巻いていた包帯がない。
 痣も見えないから、治ったのかもしれない。
「だからて洗濯怠ると、こびり付いたまんま取れなくなりますえ?」
 どれだけ血を浴びようと見た目には変わりはない。
 けれど、こびり付いた血の赤と匂いは簡単に落ちてはくれない。
「別にあんたが心配するこっちゃねえよ。替えもあるし、洗濯もしている」
 けれどもそれに慣れてしまえば、鉄錆の匂いも腐臭も気に留めることはなくなる。
 鼻が馬鹿になってしまったのだと、きっと。
 問題があるとすればそれは、己が放つそれに気付かないということ。

 そのままべたりと掌を押し付けられそうで、土方はの手を早々に取った。
 返り血も浴びない場所に押しのけて綺麗なままで待たせていたというのに、自ら血で汚れようとするのは許しがたい。
 首元に巻いたスカーフに指先を押し付けさせ、完全にとはいかないまでも血を拭う。
「折角の白が、」
「洗やいいんだよ、こんなもんは。てめえは何がしたいんだ」
 予想しない言動をするのは沖田だけで充分だ。
 まともそうに見えたのに、夜になれば性格が変わるのかよと悪態付いて、土方は改めてを見下ろした。
 薄ぼんやりとした表情で眠いのか、目の焦点が合っていないようにさえ見える。
「……酔ったのか、血に」
 獣じみた感情を持ち合わせていないはずの相手に何を言っているのか。
 思ったことを口にしてしまった自分に舌打ちし、土方は謝罪を口にしようとする。
「……血に」
 鸚鵡返しに呟かれた単語は返答ではない。
「酔うわけない。まだお酒口にしてんもの」
「酒じゃねえよ血だよ血。うっとおしいほど匂いしてんだろうが」
 示す方向には暗がりでも人が倒れていると判る影が在る。
 洗い流されることなく垂れ流されたままの赤黒い体液は、噎せ返るほどに臭う。
「別に、たったこんだけで」
「じゃあどんだけ流れてりゃあ、酔うんだ」
「何で酔う前提なん? 女やもの、毎月血の匂いとはお付き合いしとります」
 離す切欠を失い握り締めたままの手は細く、けれど他の女より柔らかい印象がない。
 以前苦労話とやらを聞かされたことがあったが、笑顔で言うので半分以上脚色しているのだろうと思っていた。
 けれど、剣ダコや固くなった指の腹など、彼女がどれだけ苦労し、何かを手放さなかった過去を思い知らされる。
 手指を見ていることに気付いたのだろう、は握り締める土方の手の中からするりと逃れた。
「傷ばかりの手やから、あんま見んといて。他の人の手ぇ見たほうが目の保養にもなるし」
「別に女の手に興味があるわけじゃねえよ」
 手入れの行き届いた指先など、土方は頼まなくても相手から見せてくれる。
 それでは何に興味があるのかと問われれば、答えに窮するのは土方だ。
 けれど幸いなことに、はそれ以上突っ込んでこようとはしなかった。
 自らの手を強く握りこむのが視界に入り、何故だか情けない気分になる。
「とにかく。……行くなら送るぜ?」
 同席は御免被るが、こんな血生臭いところに置いてけぼりや仁王立ちで見送ることもできない。
 土方の申し出に目を瞬かせ、はにこりと微笑んだ。
「ほな、お願いしようかな」

 *

「ぅおーい。此処はどう見てもてめえん家にしか見えねえが?」
「うちの家やけど、何か問題が?」
 送るとは言ったが会席の場所へ送ると言ったのであって、家へ送るとは言っていない。
 否、確かに行き先は聞いてなかったし、途中から段々そんな気はしていた。
 歩く道先は色街から遠のき、住宅街へ向かっていた。
 変だとは思ったものの、送る手前何も聞かずに付いてきた。
「お誘い一回断ったくらいで、意固地になる人やないし。今日はえぇやろ」
「言ってることが違うじゃねえか……」
 売り上げのためなら何でもすると宣言したようなものなのに、結局誘いを断っている。
 店存続の危機というわけではないのだから、確かに一回断ったくらいでどうにでもなるわけではない。
 だが、どれだけの上客か知らないものの、邪険に扱われて大人しく引き下がる相手なのだろうか。
 まさか。
「おい」
「土方さん、熱いお茶と冷たいの、どっちがえぇ?」
 血生臭い自分が居たから反故にしてしまったのか。
 問う機会を奪われて、土方は口を噤む。
「…………熱いのでいい」
 寄れということなのだろう。
 謝罪も礼も飲み込まれ、仕方がないので乗ってやることにする。
 引き戸を開けて縁側へと足を進める。
 咥えたままの煙草には火が点いたままで、揉み消そうかどうか迷ううちに灰皿とマッチ箱を出されてしまった。
 喫煙することを容認されたようなのでその行為に甘えることにして、
「……おい。煙草吸うのか?」
「うちは吸わへんけど、土方さんみたいに吸う人は居るし。別にえぇよ、夜やし」
「昼は駄目で夜は良いってか。誰を抱きこんで居るんだ? えぇ? 和菓子屋」
「それは秘密。そこまで教えてあげられる仲やないからねえ」
 昼と夜とで違う顔を見せているというのか。
 夜にしか会えない相手と逢瀬を交わしていると。
 人差し指を唇に当てて密やかに笑うに口の端を上げ、土方は新たな一本に火を点けた。
 暫くして運ばれた熱いお茶を啜り、そこで土方は自分が喉が渇いていたことを知った。