足早に階段を降り、は早足でその場を立ち去る。
新八が来ていたのだからまさか後を追ってくるとは考えにくいが、それでも何かに急かされるように万事屋から遠ざかる。
暫くして足を止め、何気なく振り返ってみたがやはり目立つ銀髪は見えない。
ほっとし、左腕が熱を持つことを思い出した。
あの時は銀時も必死で我を忘れていたのだから、悪くない。
右手を伸ばし、掴まれていた二の腕に触れて右手の甲の痣に気付いた。
痣というほどのものではなく、暫く握られていたために赤くなっているようだった。
手首にまで掛かってしまった赤は、握られていたのと同じ形をしている。
帰って軟膏でも塗って包帯を巻いておこう。
思い、歩き出しかけて目の前の影に足を止めた。
顔を上げると、見知った男が苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「──こんにちは、土方さん」
「怪我したのか?」
今にも舌打ちしたげな表情に、は笑って首を横に振る。
「別にどうもせんよ。見回りです?」
「嘘はいけねえや姐さん。手、赤く腫れてやすぜィ」
いつの間に来たのか、沖田に指摘されては右手を下ろし左手で隠すようにして両手を揃えた。
「沖田さんもいらっしゃったんやねえ。さっきぶり、やわぁ」
「そうですねィ。で、誰に暴力受けたんで?」
「そんなん違うから。心配させて申し訳ないわぁ」
感傷などに浸らずそのまま足早に帰っておけば、こうして二人に会わなかったかもしれない。
万事屋に行く前に出会った沖田と、再び会うとは思わなかったといえば嘘になる。
「……万事屋か」
「何でそう思うん?」
近くはないが遠くもない場所で、立ち止まって意味深に腕に手を這わせていれば確かに思わせぶりではある。
反射的に言葉を返してしまってから、は笑みを深めて言葉を続けた。
「銀の字がうちに暴力振るうわけはないやないの」
「確かに奴があんたに手ぇ上げるとは考えにくいが……。何か隠してんだろ」
「さあ……?」
「その態度が怪しいっつってんだよ」
「ふふ」
腹を割って話す相手ではない。
敵ではないけれど味方でもない。
あぁそういえば以前にも同じように冷えた頭で彼に接していたことがあったな、と思う。
あの時は何の話をしていたのだろう。
「女は隠し事の一つや二つあった方が色気もあるんでしょうよ。言いたくないなら別にいいんですけどねィ、姐さん」
無感情に言い放ちながら、沖田はの手を取る。
あまりに自然だったために反応が遅れ、取られた手はそのまま持ち上げられてしまった。
「強がりと秘密じゃァ、大違いでさァ」
手の甲が赤くなっている。
その赤くなった部分に沖田が自らの手を合わせ、先ほど銀時に掌を眺められていたときと丁度同じ形になる。
咄嗟に緩く拳を握って掌は隠した。
今更、ではあったが。
「ところで姐さん、今から何か用事でも?」
「今日は特に。店も任してあるし、帰ってのんびりしよ思うてますけど」
振り払うのも不自然な気がして、は手をそのままにした。
沖田はただ手を添えているだけなので痛みもないのだが、それでも銀時の付けた赤が隠れてしまっている。
「そいつぁ良かった。じゃあ屯所まで付き合ってくだせェ。包帯でも巻いておきやしょう」
「え?」
「パトカーなんで一足飛びでさァ」
店に帰るほうが早いし、これ以上人に会いたくはない。
強引に手を引かれ、は助けを求めるように土方を見た。
背中を押すこともない土方はけれど、沖田の行動を容認している。
「せやけど……」
「悪いようにはしやせんぜ。なァに、膏薬代がタダになるんで、姐さんにもいい話じゃねえですか」
そういう問題ではない。
の意思を無視して事は進み、パトカーの後部座席に押し込められてしまった。
このまま店に向かってくれと一応お願いしてみたのだが、妙に飄々とした沖田は話を聞いているようで聞いておらず、気がつけば屯所に着いてしまっていた。
数人の隊員達に移動しながら挨拶を交わし、はどういうわけか沖田の部屋へ連れ込まれている。
障子をぴったりと閉め、その入り口には当然のように土方が紫煙を吹かしながら陣取っている。
鼻歌を歌いそうな瞳をしながら包帯を巻いている沖田を眺め、は部屋を見渡す。
こざっぱりとして、物がほとんどない。
まるで自分の部屋のようだと思う。
生活に必要最低限のものしか手元にないだったが、女性という点を踏まえればこの沖田の部屋よりは物がある。
まあ、沖田達は此処で寝泊りしながらも何かあればすぐに出ていくのだから、本当に必要なものだけしか手元に置かないのだろう。
「──こんなもんでどうですかィ?」
沖田の声に、は包帯を巻かれた己の右手を見下ろした。
自分でやるとすれば片手なので、こうも上手く巻けなかっただろう。
「おおきに。せやけど沖田さん、上手やねえ」
「何があっても、少しは自分で対処できるようには仕込まれてるんで」
「あぁ……」
敵地に突入後、必ず無事に戻れるとは限らない。
孤立無援で傷の手当をしなくてはいけない状況に陥った時、頼れるのは自分の知識と行動だけだ。
「ところで姐さん」
顔を上げると救急箱を脇に控えさせたまま、沖田が手を差し出している。
包帯は既に巻かれていて、何故手を差し出されているのか判らない。
「まだ隠してんでしょ?」
「何を?」
「焦れってえなおい」
猿芝居には付き合っていられないと、土方が動いた。
左手を取られ、は顔を上げる。
何をするのか黙っているといきなり袖を捲り上げられた。
驚いて腕を引こうとしたが土方に手を取られてそれも叶わない。
「あ〜らら。こっちも赤くなってら」
二の腕にもくっきりと指の痕が付いてしまっている。
捲くられた袖を下ろそうと、未だ掛かったままの土方の手の甲へ手を伸ばすと、その伸ばした手ごと押さえ付けられてしまった。
思わず目を細めて土方を見上げる。
「けど姐さん。痕、付きやすいんですねィ」
湿布を貼り付け、沖田が言う。
「白いから赤が映えらァ」
「馬鹿なこと言ってねえでとっとと包帯巻け」
「俺に命令すんじゃねえや土方の癖に。けど本当、項に赤い花散らしたりしたらさぞかし色っぽいだろうに」
「てめえ一応俺ぁおめーの上司だっつうの! 妙なことに興味持つんじゃねえよ」
「や、でも土方さんもそう思いやせんか? 陽に当たらねえ場所は真っ白で」
包帯を巻き、悪戯を思いついたように沖田が目を細めた。
「人目に付かないんやから、別に此処は良かったんよ?」
妙な手出しをされる前に先手を打つ。
感謝の言葉を口にしてにこりと土方に笑いかけると、僅かに動揺したような目の動きを見せて拘束していた手を離した。
巻き終えた包帯の具合を確かめるためのような沖田の手をさりげなく払いながら、袖を落とす。
「……痕、消したくなかった。てえのか」
短くなった煙草を携帯灰皿に押し込め、土方が立ったままを見下ろした。
言われては目を丸くする。
気安く人目に晒したい場所ではない。
だから嫌がったのだが、なるほど、そういう見方もあるのか。
感心して頷き、そうやねえと生返事をしながら言葉を探す。
「痕が残れば、そのとき言われたことも忘れないやろし」
はこの世界が好きだ。
銀時の言う通り、どれだけ世界を壊して復讐を果たしたところで、死んだ人間は生き返りはしない。
けれど高杉の気持ちも解る。
あんなに大切だった人を葬り去り、だのにその事実をまるでなかったことにして今の安穏とした世界を作った幕府を赦すことはできない。
全てを壊すことで、胸の痞えも取れるかもしれない。
もし高杉が仲間にと言葉巧みに誘いを掛けてきたのなら。
考えたことがないといえば嘘になる。
しかし高杉はを誘うことは一度もなかった。
気付けばいつの間にか鬼兵隊などという組織を束ねていて、それを指摘すれば当然のように首肯のみが返って来た。
それから、高杉がどんな思いで自分に会いに来ているのかは知らない。
本当に和菓子だけが目当てなのかもしれないし、内心は仲間に引き込もうと虎視眈々と機会を窺っているのかもしれない。
どちらにせよ、高杉は現在までを誘わなかった。
これから先も誘いはないだろうと知っている。
故に、日々の安寧に緩慢な日常に忙しない現実に埋もれて考えないようにしている。
剣を帯びたいわけではない。
刀を振り回したところで、恐らく目の前に居る真選組の彼らにあっさり捕まってしまうだろう。
だから力添えをしたくてもできない。
「心配されているうちが花やもの」
「心配でそんな痣付けられるかよ」
呆れて吐息し、土方は新たな一本を咥えた。
「裏を返せばこんな痣付けられるほど心配されるようなことを、姐さんしてるってェことですかィ?」
「あぁ……誘導尋問に引っかかってしもうたわぁ」
にやりと笑う沖田の表情を見て、漸く気付く。
わざわざ部屋へ連れ込んで誰にも邪魔されないようにと密閉された理由に思い当たり、は笑った。
「申し訳ないけど、これ以上の秘密漏洩は堪忍ね」
立てた人差し指を口元に当てる。
「女は秘密の一つや二つ、あったほうが目を惹くものねぇ」
「一本取られたな、総悟」
くつくつと土方が楽しげに笑う。
それを面白くもなさげに睨み、沖田は頭を掻いた。
「まあそれ言われりゃ、俺もこれ以上突っ込めねえですけど……。とりあえず土方さん、死んでくだせェ」
「俺に八つ当たりすんじゃねえよ!」
刀の柄に手を掛ける穏やかではない沖田から距離を置き、応戦するように土方も柄に手を掛けていた。
はそれを、楽しげに眺める。
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