つまらないので見回りに戻りやす、と出て行った沖田を見送り、銀時は其処で漸く気が付いた。
 自分が聞きたかったことは何一つ聞き出すことができていない。
 神楽も定春の散歩と称して出かけてしまっているし、新八はまだ来ない。
「ヒマ……」
「いつもこんな調子ちゃうん?」
 欠伸とともに漏れた呟きに返事が返ってきても、銀時はぼおっとソファに座り込んでいた。
 縁に頭を乗せて天井を眺めている銀時の顔を、果たして覗き込むのはだ。
「遅い」
「そこで沖田さんに会うたよ。仲良しさんやねえ」
 謝罪もなく銀時の額に持って来た風呂敷を置き、は笑みを浮かべている。
 重さはそう感じられない。
 恐らく和菓子だろう、悪い言い方をすればそれ以外にが土産として持って来るものはない。
 それ以外を求めてはいないのだから、文句もないのだが。
「……なんやの? 変な顔して。変なことでも言われたん?」
 表情一つ変化なくただぼんやりと天井からへ視線を移しただけの銀時に、は不思議そうに瞬きする。
 文句はないのだが、少しだけ面白くない。
「……刀」
「刀?」
 眠いのだろうか。
 瞬きするの手首を、銀時は掴んだ。
 片言しか口にせず、それ以上は口を閉ざしたまま手首を掴む銀時を眺め、は小首を傾げてみた。
 銀時からのアクションを待つが、面倒臭いのか動く気配が感じられない。
 仕方がないので風呂敷を取り、は回り込んで銀時の隣に腰を降ろす。
 片腕は未だ捕まれたままなので動きにくい。
「銀?」
「真選組で何したって?」
 外そうと手をかけたのが合図だったように、向かい合った銀時が口を開いた。
「何って……」
 噂話程度で話すに内容ではないし、沖田がわざわざそれをするようには見えない。
 では何故、銀時が知っているのか。
 話したのは沖田であることは間違いないのだが、その意図が解らない。
「沖田さんから、どないて聞いたん?」
「おめーがゴリラから刀奪った。立ち回りはしてねえだろうけど、なァんか沖田くんの琴線に触れたらしいぜ?」
「あぁ……」
 思い出して苦笑する。
 あれは見せてはいけない貌だった。
 捨てることのできない一面ではあるが、あれは表出してはいけないものだ。
「だって、あんまりにもこたのことバカにするから……」
「頭に血が上っちまった、て?」
「そう」
 微笑を浮かべて頷くを見て頭を掻き、銀時は掴んでいた手をひっくり返す。
 一回りも小さな掌には剣ダコが見て取れる。
 そして、皮膚が固い。
 水饅頭などは熱いうちに成形しなければいけないと聞く。故にそれに対応するため、皮膚は固くなってしまったのだろう。
 けれどそれは熟練の技術者の話だ。
 戦争が終わってから修行を積んだにしては、と思う傍で気付いた。
 何も和菓子を作るためだけではない。
 は刀を握り、銀時達と共に戦場を駆け抜けたこともある。
 敵を斬り伏せるためには重い真剣を振り回し、剣に振り回されてはいけないのだ。
 タコができるだけでは済まない。
「今は、持たないって?」
「そりゃあ……。刀振り回しながら和菓子は作れんもの」
 自分の掌と比べるようにして眺め見る銀時を面白そうに見つめ、はころころと笑う。
「ま、そういうのは俺やヅラなんかに任しておきゃいいんだよ」
「そうやねえ」
 のんびりと合いの手を入れる。
 の掌から顔へ視線を上げ、銀時はその笑みを浮かべる顔を見つめる。
 ふっくらと触り心地の良さそうな頬に文字通り桜色の唇。
 薄っすらと化粧でも施しているのだろう、意識的に眺めれば白粉の香りが仄かにする。
 執拗な匂いは苦手だが、控えめな香りは惹かれる。
 触れたい、と思った。
 衝動に駆られての手を握り締める。

「……銀?」
 訝るように名を呼ばれて、銀時は思わず身を竦ませた。
「あ……っ、いや……」
 今何をしようとしていたのか。
 罪悪感からか視線を逸らし、銀時は自分の口元を覆う。
「ま、まあ、あれだ。そうそう、おめーは和菓子作って笑顔で売るのが似合ってるって。うん」
 意味の通らないことを口走る。
 誤魔化すように空笑いをし、自らが作り出してしまった色のある空気は霧散させようとする。
「京都でもそうだったんだろ?」
 場を誤魔化すための言葉にほんの一瞬、の体が反応した。
 手を握っていなければ気付かなかっただろうその反応は、笑みを浮かべて頷くを正面から眺めても正体が図れない。
「そういや……」
 ふと次の言葉が勝手に形になって紡がれる。
 今思い出したことではなかった。
 と再会したときから、本当は訊きたかったことだ。
「京都で高杉と会ったことあるか?」
「そりゃあ勿論」
 銀時や桂と昔馴染みなら当然高杉とも顔馴染みである。
 戦時中も共に居た。知らぬ仲ではない。
 何の含みもなく笑みを浮かべては頷く。
「どないしたん? 急に」
 いきなりの質問に戸惑うように微笑むの笑顔が、何処か嘘くさいと感じる。
 銀時や桂は、高杉と袂を別った。
 けれどはどうなのだろう。
 辰馬は商売柄、性格上気にも留めていないようで時折交渉をしたりもするとは聞いている。
 ただの和菓子屋のは、和菓子を売るために会うだろうか。
「──今は?」
「銀の字、今日はほんまにどないしたん? ぼぉっとしたり変な質問ばっかり」
 困ったように眉を下げ、は掴まれたままの手を引こうとする。
 だが銀時は逃がすまいと強く手を握りしめ、の目を正面から捕らえて動かない。
、答えろ」
「こんにちはー。すいません、遅くなっちゃって。銀さんどうせお昼まだでしょ? 僕作るんで……て、さんいらっしゃい」
 場の空気を打ち破るようにして新八が入ってきたことに、は安堵する。
 このまま銀時と対峙していたら、言わなくても言いことまで口にしてしまいそうだったからだ。
「あぁ、新八君、お邪魔してます。ほら、銀。新八君来たから」
 いつもより遅めにやってきた新八の声を無視する銀時に変わり、はソファに腰を降ろしたまま銀時の肩越しに挨拶を返した。
 新八もそれに笑顔で答えて、顔を向けもしない銀時にどうしたのだろうと首を傾げる。
「銀さん、神楽ちゃんは定春と散歩ですか? お昼、何にします?」
、答えになってねえっつってんだろ」
 台所へ向かう新八の質問に銀時は答えない。
 まるで新八が来たのに気付いていないようだ。
「別に、会ってても悪いことやないし」
 いつもと違う真剣な銀時は新八に背を向けたまま、を見ている。
 握られた手に鈍い痛みが走り、は思わず眉を潜めた。
 銀時から離れようと肩を押しやる。
 だがその腕もあっさりと捕まった。
 一度も振り向かない銀時に、妙な雰囲気を察した新八が持って来た荷物を置いてリビングへ近付いてきた。
「今あいつが何を考えているのか、知ってるのか」
 いつもの飄々とした銀時と、一線を画したその殺伐とした空気を纏う銀時を、新八は知っている。
 だから、に助け舟を出そうと開いた口を、ぱくりと閉じた。理由は知らないものの、今は邪魔をしてはいけない時だ。
 その新八の様子に、は有耶無耶で逃げることができなくなったことを悟る。
 もう少し早く新八が着いていたなら、逃げられたのかもしれないが。
 右腕を掴まれ、答えるまで離してくれそうにない。
 一息吐き、浮かべていた笑みを消して銀時と真正面から向かい合う。
「知っとるよ。逐一、とは言わんけどよう話は聞いている。一戦やりあったやないの」
「一戦どころじゃねえよ」
 話を聞いてなお、何故は不快そうに顔を歪めないのだろう。
 ただ淡々と事実のみを述べている、そうして高杉と通じていることを認め、もし仮に目の前で銀時と高杉がやりあうことになれば、どちらに加担するというのか。

 今は刀を持たないとは言っていた。
 けれど、桂を罵倒する男に他人から刀を奪ってその刃を向けたのも事実だ。
 そしてそれを、咄嗟のこととはいえ真選組の誰も止められなかった。
「例え復讐したとしても、死んだ奴は還って来ねえ」
 これは高杉にも桂にも、そして銀時自身にも言える言葉。
 この世の全てを奪うと宣言した高杉はもう、感傷に浸る甘い思考などとうに捨てているはずだ。
 知っていてもなお、恐らく本当の意味で解っていないのかもしれない。
 諦めることと等しいそれに目を瞑り、己の信念を曲げることはない。
 狂気に取り付かれるのは、高杉だけで充分だ。
 まであちら側に回ることだけは止めたい。
「判うてるよ、銀の字」
 片腕を掴まれたまま、は静かに答えて銀時の髪を撫でる。
 声音は恐ろしいほど落ち着いていて、何を考えているのか銀時には予想もつかない。
「そんでも気持ちが落ち着かん。せやけどなぁ……」
 どこか懐かしげに細まったの目を見て、逃がすまいと掴む手に力が入った。
 泣き喚いてくれれば慰めることも抱き締めることも出来るのに、と喉に痞えた言葉は形にならない。
「戦争はもう、終わってしまったんよ」
「っ!」
 浮かべた笑みに虚を付かれ、銀時は掴んでいた手の力が抜けた。
 その隙を突いては逃れて立ち上がり、銀時が慌てて伸ばした手は一歩の差で掠めて落ちる。
「長居してもうて堪忍え。お菓子持てきとるから、三人で食べて」
「あ、はい……。あ、えっと、じゃあ、また」
 蚊帳の外に追い遣られていた新八は急に声を掛けられて、動揺したままに軽く頭を下げた。
「ほな、また」
 いつも通りの笑顔を浮かべ、は万事屋を後にする。
 残された新八はどう銀時に声をかけて良いのか判らず、その場に立ち尽くしたまま玄関とソファに交互に顔を向けた。
 聞いてはいけなかった内容かもしれない。
 そう後悔するもの、タイミングなど外から測れない。
「新八ーぃ」
「あ、はいっ!」
 懊悩する新八を銀時が急に呼んだ。
 見れば既に銀時はソファに寝そべってしまっている。
「とっとと飯作ってくれ。俺ぁ、ジャンプ読んで待ってっから」
 言うと確かにジャンプを手に取り、けれど銀時はジャンプを開くどころか胸の上に置いたまま不機嫌そうに天井を睨んでいる。
「判りました。材料ないから、あまり期待はしないで下さいね」
 今の出来事は訊くな、ということだろう。
 新八は不機嫌な銀時を見てみぬ振りで笑顔で頷く。
 知りたくないわけではないものの、聞いたところで何もできない。
 だから、結局日常へと戻るのが得策なのだ。