数人の怪我人を出しながらも重傷者も死人も出さなかったのは、流石と言うべきか。
送るという申し出を丁重に断り、は真選組屯所へ隊員達と共に帰還した。
銀時には後日礼も兼ねて尋ねる。
わざわざ遠回りしたのは捕縛された浪士達がどうなるのか、それが知りたかったからだ。
その中に桂や彼に追随する仲間が居ないかの確認も行うためで、しかしそれは屯所へ着くまでに杞憂だったと確認済みではある。
「わざわざ付いて来なくても良かったんですぜィ?」
女性にはその場に居て欲しくない尋問も行いたい所である真選組としては、の申し出は有難迷惑以外の何者でもない。
沖田にしては和らげた物言いも、心得ていたのかは有無を言わせぬ笑顔で首を横に振る。
「文句の一つや二つ、言いたいやん?」
聞くに堪えない罵詈雑言を吐き出しそうにない笑顔でそう言われても、はいそうですかと聞き入れられはしない。
けれども既に屯所には到着してしまっているし、彼女がどれだけ暴れようとも……そんなこと想像もできないが……隊員全員で抑えられないほどではないだろう。
むしろ俊敏に動けること自体が想像できない。
緊張感無く、むしろ捕り物後の気だるさと開放感で溢れる屯所に未だ殺気を漲らせる数人の浪士が異常に見える。
後ろ手に縛られてなお殺意を込めた視線を投げつけてくる男の前に、は笑みを貼り付けたまま立った。
「さん、一応縛ってはいますけどあんまり近付かないほうが……」
気付いた近藤がの後ろに立ち、振り向いたは心得ているとばかりに頷いてみせる。
「女狐が……っ!」
「おおきに。商いは純粋だけでは食うていけんものねえ」
ころころと笑うは射殺さんばかりに睨まれても物怖じ一つせず、男は歯軋りする。
攫って監禁していた内は男に分があったのに、今では立場は逆転している。
には真選組という後ろ盾があり、男にはもう外に助け出してくれる仲間も居らず極刑を免れることはない。
後を託す者も存在しない現状では、自棄になって喚き散らしそうだ。
「……ふんっ。何が狂乱の貴公子だ。女の戯言に振り回されて、馬鹿馬鹿しい扮装なんぞしやがって!」
「よう似合うてたやないの」
「ただの腑抜けだ! あれだけの騒ぎを引き起こしておきながらただの一人も殺していないだとっ!? 幕府の狗共が集っていたというのに、一人とて殺せないような奴に命を預ける莫迦は居ない!」
「……居るやないの、仰山。あんたみたいな目的のためには手段を選ばず、自分だけが正義だと思い込むような阿呆、抜けて貰うてせいせいしたんちゃう?」
口の端から泡を飛ばして喚く男の言葉に真選組の隊員達が僅かに色めき立ったが、それを近藤と土方が無言で抑えた。
笑みの消えたの声が一段低くなっていることに、土方は気付く。
無言のまま眉を寄せ、何かあれば直ぐに手を出せるようにと身構えてはおく。
「はははははっ!! 貴様は騙されてんだよ!! 野郎、以前は大使館に爆弾送り付けて誰でも傷つけるような無差別テロの常習者だったんだ! それを今更穏健派だと!? ふざけるなっ! 腑抜けた野郎なぞに江戸の明日を任せられるわけがないだろうっ!!」
最近江戸へ上京してきたは、桂がどれだけのテロを起こしていたのか実際には知らない。
真選組は長いこと桂を追ってきたので悪行の数々を知っている。
男の言葉に嘘偽りがないことを身をもって知っているため、誰もがへ言葉をかけることができない。
「あんな間抜けに俺達の未来を賭けていたのかと思えば情けなくて反吐が出る」
が口を閉ざしたのをいいことに、男は吼えるのを止めない。
そろそろ男を止めなくてはと動きを見せた隊員の手を振り切り、男は哄笑を続ける。
「女の言葉一つであんな間抜けな格好ができるなど、長い髪をしているだけあって女々しい野郎だ!!」
「っ!! 近藤さっ!」
「……っ!?」
「──っ」
「──……、」
土方が気付いて声を掛けたよりも一瞬早く、近藤の腰に差してあった刀は引き抜かれていた。
その素早さに沖田ですら反応しきれず、抜かれた刀の先は男の首元ぎりぎりに留まっている。
ほんの少し力を込めるだけで、簡単に薄皮一枚は弾けてしまう。
見えない糸が張り廻らされ、唾を飲み込むのすら危ぶまれる空間で、冷えた女の声が漏れる。
「……どれだけ私を愚弄しようと構わないけれどね? 小太郎まで虚仮にされるのは堪らないわ。彼だからこそ、ただの一人の犠牲者も出さず、貴方達は重症を負うこともなく全員拿捕されたのよ」
声音は知っているはずなのに、知らない人間がしゃべっているようだった。
独特の訛りは消え、纏う空気すら別人だ。
刀を早々に奪わなければいけないはずなのに、近藤も土方も沖田も、勿論その場に居る山崎達ですら動けない。
指一本でも動かせば、男の代わりに斬られてしまう。
真後ろに立っていた近藤の腰に在った刀を構えたは、普段のおっとりとした空気を断ち、髪の毛先にさえ怒りと殺意を張り巡らせている。
「そうね、晋助なら私共々全て斬り伏せていたでしょうね。それこそ、生き残るのは真選組局長や副長、隊長クラスかしら。万事屋の三人も重傷は負っても死にはしないでしょう。
……彼は生かすより壊すことが好きなようだから」
薄く笑うの視線は男から逸れることはない。
「あり得ないけれど、かつての仲間を助けようと小太郎が此処へ来るのだとしたら、私は小太郎を守るために、此処で貴方を斬り捨ててやればいいのかしら。そうすれば彼が危険に遭わずに済む」
細めた瞳に狂気が宿り、けれどその視線から逃れられずに男は小刻みに震えだす。
口の端に上がるのは笑みでも、彼女が普段浮かべる種類の物ではない。
「……っ」
赦しを請おうと言葉を発しようとするも、喉は震えるばかりではっきりとした声が発せられることはない。
ただ震えた呼気だけが漏れる。
「でも」
ふいにがにこりと笑った。
それに釣られるように周囲の空気が和らぎ、圧し掛かっていた何かが堕ちる。
「それは、この刀で行うわけにはいかんものねぇ」
その一言で緊張の糸がぶつりと切れた。
知らずに詰めてしまっていた息を吐き出す音が、そこかしこで漏れる。
は男から身を引くと、刃先を自らの着物の裾で拭き上げ近藤へ持ち手を向けた。
「すんまへんなあ、勝手に借用してもうて」
「っあ、あぁ……い、いやあ、さん、刀使えるんですねえ」
覇気のない近藤の笑い声が無駄に響く中、男はいつの間にか失神していた。
「んで? 桂が来るってのはいつ頃だ?」
煙草を咥えてマヨネーズ型のライターを手にした土方がに問う。
「さあ……? せやけど、この人が此処に居ると情報が手元に来たら、直ぐにでも来る可能性もあるんやないですか?」
「こんな碌な情報も持ってないような奴を、わざわざ危険を冒してまで桂がやってきますかねィ」
失神した男の頭を鷲掴みにして沖田が追従する。
はその質問にもにこりと微笑む。
「それがこたのええ所なんよ」
「買い被りすぎだろ」
というよりも、過剰の信頼を寄せている。
「まあ警備に手抜かりなんざねえし、いつでも相手になってやる」
しかし桂が来ることはないだろうと、土方は踏んでいた。
を盾に交渉を持ちかけあまつさえ殴り飛ばした男を、わざわざ助けに来るような危ない橋を渡る男ではない。
仮にこの場へ下見に来ていたとしても、今のやりとりを見て踵を返すのがオチだ。
だからと言って警備に手を抜くことはないのだけれども。
「ところで姐さん、一度お手合わせしてくれやせんか?」
失神した男を山崎へ引き渡し、沖田がへ話を持ちかけるのを耳にして土方は舌打ちする。
確かにあの速さと殺気は尋常ではなく、沖田とやりあうには十分な腕の持ち主だろう。
無意識に手加減してしまう土方や近藤とではなく、ましてや手加減はせずとも剣技同士での打ち合いではない神楽とも違う手合わせができる相手だ。
無表情ながら目が期待で輝いているのに、近藤と土方だけは長年の経験で感じ取れた。
「こらこら、さんも疲れてんだから無理言っちゃ駄目だろ。総悟」
苦笑いして沖田の頭を乱暴に掻き混ぜ、近藤はに頭を下げる。
「すみません、さん」
「じゃあ後日改めてならいいんですかィ?」
「堪忍ねぇ、沖田さん。うちはもう剣を捨てて長いことなるし、あっさり勝負付いてしまうと、つまらないやろ?」
「大丈夫でさァ。なんなら数日道場貸しやすし、勘を取り戻すのは姐さんなら簡単にできやすよ」
根拠はないが、沖田が言うとその通りであるように聞こえてくるから不思議だ。
否、実際目の前の立ち回りを見てもたった数日で勘を取り戻してしまいそうにも見える。
「気が向いたら」
人の良い笑みを浮かべ、は確証のない答えを返した。
*
艶町に出入りするのは、数日前のごたごたと数時間前に終結したことが未だ鮮明に残っている。
故にできれば避けたいところではあった。
けれど、生憎今夜待ち合わせた相手は自宅で会うには厄介である。
かといって相手の敷地を跨ぐにも、遠すぎて明日の営業に差し障る。
というよりも。
「……もう少し後でもええんちゃうかなぁ」
「今日は土産目的じゃねえんだから、いつまでもぶちぶち言うんじゃねえよ。女々しい」
「女やからねえ、生まれ落ちて以来ずぅっと」
自宅へ戻り風呂に入って漸く人心地着いたとほっとしたとほぼ同時。
訪問の挨拶もそこそこに、うちの大将が用があると連れ出されてしまった。
今までもこうした強襲に近い訪問を受けていたのが災いし、心の準備が、などという至極当然の断りはものの見事に黙殺された。
既に表に用意されていた籠タクシーに押し込められ、再びこうして色艶めく界隈へ連れてこられた。
周りを確かめる暇もないほど、とある建物のとある部屋へ案内された。
襖を開ければ当たり前のように鎮座する片目の男とヘッドホンをした男が二人。
冒頭の会話を交わして後、片目の男はくつくつと笑って杯を傾けた。
「」
名を口にするだけで手招きなどしない。
勝手に来いと言われているようで、精神的に疲労困憊のは思わず息を吐いた。
それでも素直に男の隣へ腰を下ろし、けれど今日は杯を満たしてやる給仕はしない。
「どうした、いつもの外面は」
「客でもない人に無料奉仕なんて、勿体無い」
「だろうなァ」
笑みも浮かべず横目で一瞥すると、何が楽しいのか男はくつくつと喉の奥で笑いを噛み殺す。
それを肌で感じながら、煩わしいとばかりにわざと眉を寄せてみせる。
ヘッドホンの男、万斉が不思議そうにを見やる。
「今日はご機嫌斜めでござるか」
「こいつの調子が良い時ってのァ、高い和菓子が大量に売れた時だけだろ。今日は何も注文してねえ」
江戸へ来てと会う際、いつもなら和菓子を土産にと高いものから注文する。
今日は何の約束も取り付けないまま店に来て、を迎えにやらせた。
ふと漸く気付けば、しっとりと濡れた髪に夜着を着たは羽織すら肩に掛けていない。
「風邪でも引いて気を引きてえのか?」
「せやねえ、髪乾かす時間も羽織持つ時間もくれん部下を寄越した晋助が寝ずの看病してくれる言うなら、引いてもええけど」
にっこり。
わざとらしいほどの笑顔に、高杉晋助は可笑しげにくつくつと笑った。
「そりゃあ悪かった。今度から余裕を持つよう、教育し直してやる。まァ今夜はこれで我慢しろ」
言って肩を引き寄せられ、は高杉の肩に額をぶつけて思わず目を瞑る。
その隙を突かれて本格的に抱き寄せられ、結果的に高杉の胡坐を掻いた膝の上に腰を据えられていた。
非難の言葉を口にしようと上向いた顎に手を掛けられ、左頬へ決して柔らかくはない指の腹が滑る。
響く鈍痛に反射的に眉を顰め、無理矢理目を見張って寄った眉間の皺を散らした。
その瞬間的な百面相に高杉が満足げに片眉を上げる。
「……なんだ、思ったより強くヤられたわけじゃねえのか」
「お生憎。受身は取ったさかい」
「にしては数日残る痣残させるなんざ、反射神経鈍ったんじゃねえのか?」
昔に呼ばれた渾名を耳元で囁き、高杉は愉しげにを睨め付ける。
対して面白くない状況では逃れようともがいてみたが、腰を抱く腕はびくともしない。
諦めて嘆息すると、高杉がまた愉快そうに口の端を上げてみせた。
あっさり拘束を解くことが出来た過去と比べ、指摘された通り確かに反射神経は鈍ったのかもしれない。
殺伐とした、命のやりとりを常とした世界からは既に身を引いている。
故にそれを指摘されたからといって何も感ずる必要などないのに無意識でも唇を噛んでしまうのは、未だ片足を突っ込んだまま完全浮上にまでは至っていないことを自覚しているからだ。
こうして高杉達と密会を交わす事実さえ、それに拍車を掛ける。
「……普段通り生きてたら、何の支障もないし、鈍ったところでどうもせんよ。それより」
を抱きかかえたまま手酌で酒を呑む高杉を一度軽く睨んでから、は一人我関せずといった風の万斉へ視線を向ける。
「万斉さんが動揺もせんと黙認しとる言うことは、普段から晋はこういうことしとる言うことやろか」
水を向けられ、注いだ酒を飲み干し万斉は軽く首を横に振る。
「そういうわけではござらんが、邪魔をしては悪いと思って」
何の感慨もなく返された言葉の裏を読み取ろうとして、止めた。
飄々と人を担ぐような台詞を吐くこの男を、気に入っている。
何を考えているのか判らないから面白いのだし、腹の探りあいをする仲になるのは勿体無い。
「うちと晋助の間に流れるもんが、甘いもんなら邪魔にもなるんやろうけど……全然やものねえ」
左頬に添えられた手を取って親指の腹に軽く舌を這わせ、窺うように高杉を上目遣いで眺める。
目が合えば高杉は口の端を歪めて笑みを形作り、顔を寄せての右耳をべろりと舐めた。
「……いちいちやり返さんでええから」
「期待してたんだろ?」
「こういう返答する相手なんよ」
辟易とした表情を浮かべて万斉を見るを離さぬまま、高杉はくつくつと笑った。
「欲情させられねえよ、こいつには」
女として見れないと言う意味ならば怒って当然なのだがそこは的を得たもので、もそうだろうと肯定の応えを返す。
奇妙な関係を結んでいるらしい高杉との間に流れるものがどんなものなのか考える気もない万斉は、ただ目の前で猫が二匹じゃれあっているようにしか見えない。
猫じゃらしなどの介入もなく勝手にじゃれる猫二匹。
酒の肴には、まあ悪くはない。
思うことはおくびにも出さず、万斉は杯を傾ける。
「ところで晋助、出向くのが早すぎる気がするんやけど」
「こういう噂は広がるのが早ぇんだよ」
当然のように嘯く高杉に、はほんの少し眉を寄せる。
殴られたのは昨日、救出されたのは今日。
「何処に潜りこませてたん?」
「さァな。てめえには関係のねえ話だ」
攘夷浪士、桂、真選組。
何れかの組織へ間者を潜り込ませていたのであれば、これほどまでに早い情報伝達は納得できる。
限定させない高杉の物言いにの胸中に冷たいものが一瞬流れたが、掴んだネタは一つだけのようだ。
本日真選組屯所にて、ついやってしまった脅しは耳にしていないらしい。
あれは頭に血が上ってしまった一時の激情のようなもので、二度と他人へ見せる顔ではないのだ。
もしあれを高杉が知ったのなら、対応は変わるはずだ。
今でも剣を持つことを良しとしていると見、手持ちの駒と見なされる。
「どうした、もう眠いのか?」
急に黙り込んだの顔を覗き込み、高杉は口の端を歪める。
「ガキだな」
「早寝早起き、それが今のうちの信条の一つなんよ。遅うまで起きて良からぬことを考えとるあんた達と。一緒にせんといてぇな」
顔の直ぐ横にある髪を撫で、左目を覆う包帯へ軽い口付けを落とす。
その一瞬、高杉が不快げに眉を寄せたのを認めたものの、これくらいの意趣返しは赦して欲しい。
「……どうせうちの様子見に来ただけなんやろ? また子ちゃんらも心配しとるやろし、早う帰ってやらんと」
「てめえが心配することじゃねえよ」
余計なお世話だと吐き捨て、けれど帰宅後のまた子を容易に想像できたのだろう高杉は舌打ちする。
高杉を心酔しているまた子は、高杉を甲斐甲斐しく世話を焼こうとする。
今日は土産も持って帰れないため、何のために外出したのか判らず理由を聞き出そうとするはずだ。
「今度来るときは、また子ちゃんも一緒にね。久々に会いたいし」
女同士どこか気が合うのだろう、また子もに懐いていて話が弾む。
大半は高杉の話であることは、一応女同士の秘密ということになっている。
「……気が向いたらな」
言って杯を傾ける高杉が次回、また子を連れてくるかはその時の気分次第だ。
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