何度山崎の携帯電話に掛けても、電源が入っていないとアナウンスされる。
 約束の時間はまだ来ない。
 捕まえた浪士達は、近藤が責任を持って連れ出しに同意すると言ってくれた。
「トシ、落ち着け」
「わぁってるよ」
 近藤の呼びかけに苛々と土方は答え、胡坐を掻いて煙草を燻らせる土方の膝は気持ちを代弁するように小刻みに震えている。
 今下手に呼んだりしたら、斬りかかられる可能性が高い。
 部屋からこそこそと出て行く隊員達を横目で羨ましそうに眺め、山崎は腰を殊更低くして局長と副隊長の待ち構える部屋へ入った。
「局長、土方さん。今、電話が入ってきたんですが……」
「誰からだ」
「そ、それが……」
 口の中でもごもごと言葉をにならない言葉を作る山崎に、勿論土方はキれて刀を抜きかけたが近藤が抑え、埒が明かないと電話口へ向かう。
 部屋から退出した隊員達が集まり、既に電話はスピーカーに変えられている。
『こた! 真選組も来る、罠なんやから来たらあかん!』
『! んのアマっ!!』
 乾いた音が届き、聴いていた隊員の数人が首を竦めた。
「おい、こりゃあ……」
「電話取ったらこっちの呼びかけに返答はなく、ずっとこんな調子です」
 少しくぐもった数人の男たちの声やの声、そして物音が聞こえてくる。
 山崎の携帯電話が通話状態のまま放置されているのだろう。
 置きっ放しで放置されていない証拠に、誰も携帯電話に頓着なく物事は流れ、衣擦れの音が混ざって音が聞き取りにくい。
 恐らくが隠し持ち、偶然通話ボタンを押したのか。
 否。
「これを計算ずくで山崎の携帯持ち出したとしたら……あの女、なんか企んでやがるな」
「そりゃ穿ちすぎだよ、トシ」
 携帯電話の電源が切られていたのは何度も掛けたのだから知っている。
 それに偶然通話ボタンを押したところで、屯所へ掛かるとは限らないのだ。
 向こう側に此方の声は届かないと判っているはずなのに、集まった隊員達は息を詰めて聞こえてくる音に耳を澄ませている。
 どうやら相手方はを囮に真選組と桂とを、同時に取引相手に据えたらしい。
 確かに現場に桂が居れば、指名手配犯なのだからそちらに気を取られる。
 桂と真選組みの相討ちでの共倒れと、仲間奪還の両方を狙っているのだろう。
『黙れっつってんだろうが!!』
「っ!!」
 何かが床に叩きつけられた音が、一際大きく響いた。
 上がりかけた悲鳴を飲み込む音と床を這う音、受話器を叩きつける音がする。
「野郎……女に手ぇ上げやがって……っ!」
 しかも流血しているようではないか。
 隊員達は舌打ちと苛だったように壁を叩く。
 今すぐにでも乗り込んで行きたい衝動に駆られるも、何処に監禁されているのか検討もつかないのだ。
 今はただ、手の出せない場所に居るの無事を祈りながらこれ以上のことが行われないことを願うしかない。
『人、斬ったことないんやろ?』
 男を挑発するの意図が解らない。
 声質は冷静さが感じられるのに、実際には腹立たしくて黙っていられないのだろう。
 お願い、と最後に囁かれた言葉が掠れてしまって痛々しい。
 通話が切れた音が響き、山崎がスピーカーを切る。
 次の行動を窺おうとして顔を上げ、そのまま顔を引き攣らせた。
 顔を向けた方向には近藤や土方が居る。
 山崎の顔に気付いた土方が問い質そうと口を開いた瞬間、背後に気配を感じて振り返る。
「っ。……てめえら、何勝手に入って来てやがる」
「俺ら入るときちゃあんと声掛けたけど? だぁれも迎えに来ないしさぁ、こっちは用があって来てんだから、ちゃんとしてくんない? 大串くん」
「すみません、開いていたので入ってきちゃいました。あ、でもちゃんと声は掛けましたよ?」
「私らドロボーじゃないアル。こんな所盗みに入っても何も取るものもないネ」
 万事屋三人が険しい顔をして立っていた。
 いつから其処に居たのかは判らないが、確実に今の通話は聴かれていたのは解る。
「んで?」
 銀時がいつもの飄々とした調子で言葉を続けた。けれど顔は真顔だ。
「詳しい状況、聞かせて貰おうじゃねえか」
「てめえらにゃ関係ねえよ」
「それがあるんだなー。んトコのバイトの子がよ、真選組に連れて行かれた後店主が帰って来ないって心配して万事屋来てさあ、どうなってんのか聞いて来てくれって依頼が入ったんだよ」
さんが既に此方に居られない理由は判りました。それで、これからどうするんですか」
 ほぼ全てを聞かれて居る以上、誤魔化して追い返すことは無理だ。
 それにこの万事屋達が、どれだけ誤魔化しに乗ってくれるというのか。
 脅そうが情に訴えようが無駄だろう。
「……近藤さん」
「あぁ。もう仕方がないだろう」
 どうせ最後には話さなければいけないのだから、ありのままを話してしまえば良い。
 簡潔に今までの状況を話して聞かせる。次第に神楽や新八の顔が翳るのに、銀時だけは表情一つ変えない。
 否、普段から内情を読めない沖田とは違う無表情では、どれだけの激情を抱えているか読めないだけで後の反応が恐ろしい。
「──……というわけで、明日の交渉に至ったわけだ」
「まあそっちは勝手にやってくれ。俺らも好きにするし」
「は? いや、君達何言ってんの?」
「だって交渉は真選組と犯人との取引ですよね。僕らは関係ありませんし」
 姉譲りの爽やかで有無を言わせぬ笑顔を浮かべた新八に、近藤は目を見開く。
 確かにその通りではあるが、交渉の場で勝手に動かれては困るのだ。
「早くさんに帰って来てもらわないと店側も困るそうです。僕らも依頼があるので」
「そっちなら心配ないですぜィ」
 どう言えば引いてくれるのか言いあぐねていると今まで何処へ行っていたのか、沖田がひょいと顔を覗かせた。
 神楽が不愉快そうに目を細めそれに沖田も気付いたが、互いに一瞬睨み合っただけで終了する。
「店の方には姐さんの無事が確認できるまで、こっちで身柄を預かっている旨は伝えて来たんで、明日までなら何とか誤魔化せまさァ」
「そいつァちょっとばかり遅かったな。完全に無事ってわけにゃいかねえよ」
「……どういう意味で?」
 軽口の銀時に沖田が目を細める。
「連中、和菓子屋を殴ったみてえだな。音だけだが、間違いねえだろう」
 スピーカー越しの音ではどれほどの傷を負ったのか判らない。
 そして、本当にその聞こえてきた一発だけで済んだのか。
「女に手ぇ上げるたァ、ふざけた野郎共だ」
 避ける術を持たないだろう女性に対し暴力を振るうなど、どんな理由があるにせよ最低な人種だ。
 苛々と舌打ちした沖田を、銀時の隣に腰を降ろし今まで大人しくしていた神楽が睨み上げる。
「おめーが言うなヨ」
 会えば互いに睨みを効かせて言葉を投げつけ合い、それでも飽き足らず一戦交えることも多々ある。
 夜兎とも言えども神楽も性別学上女だ。
 その神楽へ手加減なしで攻撃を仕掛けてくる沖田へ投げつけられた言葉に、沖田は口の端を上げた。
「あァ居たのかチャイナ。てめえは女の数にゃ入らねえよ」
「んだとコラァっ!」
「はいはい神楽ちゃん、此処で暴れられると僕達にまで被害出るから、外出てやってね」
「問題、そこ?」
 緊迫した空気を一掃するのは、子供たちの役目。
 全員が全員息を詰めた状態では、冷静な判断が出せなくなる。
 意図せず役目を果たす子供たちに失笑が漏れるも、それが誰の口から漏れたものかは誰にも認識されない。


 *


 波止場は潮風の影響か、急な突風が時折巻き起こる。
 はためく着物は問題ないとしても、結わえていない髪が軽く痛みを訴える頬に当たって自分の置かれた状況を思い出させる。
 両手首をがっちり掴まれ、逃げるわけもないのにと嘆息が漏れた。
「……何だ、元気ねえじゃねえか」
 昨日を殴った男が哂う。
「この状況で笑うて居られる程、豪胆やないからなぁ」
 逃げようと思えば逃げられたかもしれない。
 けれど自分の居る場所が判らない上に、土地勘のない場所で迷ったりしたらすぐに捕まる。
 携帯電話で助けを求める手もあったが、通話記録を消去する術を知らなかった。
 それに、自分が居なくても真選組との交渉は押し切れるだろうが、自分が居ないことで桂が危険な目に遭うことだけは許せなかった。
 知り合いの居る真選組の邪魔をしたわけではないが、やはり桂を優先してしまう。
 自らを拘束する手が少しでも緩めば振り払えるし、真選組にでも逃げ込めば後は勝手に彼らがやりあうだろう。
 来るなとは言っても、あの状況の言葉を従ってくれるほど従順ではない。
 今は睨み合うように向かい合う浪士一派と真選組以外姿は見えないものの、恐らくどこかに身を潜めているはずだ。
 故に、桂が何処で何をしているのかを見極めないうちは、迂闊に動くことはできない。
「仲間はどうした」
「急かすんじゃねえよ、ちったあ余裕見せろ」
 余裕の表情で咥え煙草に火を点け、土方が背後へ向けて顎をしゃくった。
 山崎達に伴われ、何故か頭から布を被った三人の人物が姿を現す。
 妙な違和感があった。
 男達も感じたのだろう、訝しげに眉を寄せるのに真選組の誰もが真顔で三人を前に差し出した。
 真ん中一人は背が高く、左右を固める二人は小柄だ。
 少なくとも左右の二人は成人した大人には見えない。
「おい、」
「どうしたィ。こっちはちゃんと前に出してんだから、そっちもさっさと渡してくんねェか」
 男達の動揺を肌で感じているはずなのに、沖田は堂々としたものである。
 気圧され、を拘束していた男の手が緩む。
 その隙を逃さぬようは手を振り払って歩き出した。我に返った男が手を伸ばすもには届かない。
「…………」
 すれ違いざま横目で長身の男を窺うと、見覚えのある銀色の髪が零れている。
 驚いて他二人を見ようと振り返りかけて肩を掴まれた。
「申し訳ない、怪我なんてさせちまって」
「別にこれは自業自得やから。それより近藤さん」
 布へ伸びた手は届かず、は自分の背を押して真選組陣地へ招き入れる近藤を当惑したように見上げる。
 どう見ても万事屋三人である三人は、自分の身柄と交代する相手ではない。
 近藤はの言いたいことが判ったのだろう、いつも通り爽やかな笑みを浮かべて頷いた。
「大丈夫っ。さんも知っての通り、彼らは頼りになるから」
「そうやなくて」
「立候補してくれたんですよ、旦那方。だから、今回は俺達真選組との共同作戦です」
 なおも言い募ろうとしたを、今度は山崎がエスコートするように手を引いた。
「すみません、巻き込んじゃって……」
「うちのほうこそ勝手に携帯、使ってもうて……」
「いいですよそんなこと。全然気にしないで下さい」
 それよりも、と濡れタオルを渡されは左頬に宛がわれた冷気に口を噤む。
 自分の知らない場所で、勝手に話が膨らんで進んで行ってしまったのだろう。
 知らなければ口を挟む必要はない。
 判らないことに首を突っ込めば、ぐちゃぐちゃに糸が絡まる。
 そう、今この現状のように。
「──……」
 吐き出しかけた吐息を嚥下し、は山崎の手からタオルを受け取る。
 布を剥ぎ取った万事屋三人が名乗りざま動揺する男たちへ踊り掛かり、それに続いて真選組も攘夷浪士一斉検挙に向けて走り出していた。
 山崎も参加するのだろうと視線で促し、は後ろへ下がる。
 礼儀正しく頭を下げ、山崎が戦闘へ参加するのを微笑みを浮かべて見送り濡れタオルで左頬を押さえた。
「──痛むのか?」
「平気。昨日も一応冷やしてたし、数日青タン作るやろうけど痕は残らんよ」
 姿は見えず気遣う声だけが背後から聞こえる。
 安堵の息が漏れたことに、はくすくすと笑った。
「来たら絶交や、言うたのに。こた」
「俺はこたではない。キャプテンカツーラだ」
 真顔で言うから尚更おかしい。
 何処から調達したのやら、海賊服に眼帯まで付けて平然と佇む桂に少しだけ背を預ける。
 含む笑いに少し眉根を寄せるも、桂はの左手に己の左手を重ねた。
「すまない……」
「嘘やからね、絶交なんて。……堪忍ね」
「この場合は礼を言われる方が嬉しい」
「そうやね。……おおきに。ありがとう」
「どういたしまして」
 一度強く握られた手が離れるとそれまで遮られていた風が一気に巻き上がり残った熱を掻き消す。
 と同時に背中に感じていた温もりも掻き消え、心細さで振り返ったが既に桂の姿はない。
「桂ーぁっ!!」
 沖田の叫び声の直後、左方向に爆風が起こった。
 ふいのことでよろめくを、いつの間にか近くに来ていた銀時が支える。
「銀」
「野郎、こっちのこと全っ然頭にねえな」
 舌打ちし、爆風で舞い上がった土と埃からを護るようにして胸に抱き、銀時はを一瞥した。
「知らない人にお菓子貰っても付いて行くなっつったろ」
「そうやったねえ。……えろう迷惑掛けてもうて、堪忍ね。銀の字」
「謝罪より礼が欲しいね俺ぁ。ついでに糖分も」
 桂の爆弾と自棄になった浪士達、殺さず捕まえようとする真選組や万事屋助手二人の怒号と罵声が入り混じる現状で、は口の端を上げて笑みを形作る。
 それから顔を上げ、銀時の顎に軽い口付けを落とした。
「糖分は、今度店に来た時にでも」
 瞠目する銀時に笑っては肩を押す。
 戦闘に参加しない銀時に焦れて、神楽が大声で呼んでいた。
「……っはいはいっ。なんであんな元気なんだろーなー」
 いつまでも無視しては、今度は何かが飛んでこないとも限らない。
 やけっぱちで叫び返し、銀時は頭を掻く。
「神楽ちゃんやからねえ」
 根拠のない言葉も無理なく納得できるから、不思議だ。
「後で話、ちゃんと聞かせて貰うからな」
 自分の肩に掛かる銀時の手を外そうとするに銀時が静かに言う。
 話と言われても、銀時が満足するようないきさつなど持ち合わせていない。
 ほんの一瞬眉を寄せて視線を落とし、は小さく頷いた。
 それで満足したのか、銀時はの肩を叩いて戦闘へ戻る。
 目の前の大乱闘を既に温くなったタオルを頬へ当てたまま、ぼんやりと眺める。
 黒や白の冷めた色合いの中、神楽の橙や新八の青がちらちらと垣間見え、恐らく足を進めて混ざろうとしてもあっさり弾き飛ばされてしまうのだろう。
 まずきっちり着込んだ着物姿では、立ち回りが難しい。
 それに肝心の獲物が無い。
 押され気味の浪士達から奪おうかと顔を向け、憎悪の篭もる瞳と視線が合った。
 あぁそうだ、彼から奪おう。傷のお礼を込めて。
 口の端を上げて笑みを形作ったに色をなし、駆け出しかけた男が銀時の回し蹴りを受けて昏倒した。
「…………っ」
 数秒のやりとりを見ていたのか、銀時が細めた目でを一瞥したのには肩を竦めた。
 参加するのは言い訳も全て却下らしい。
 つまらへんねえと、結局蚊帳の外へ放り出されては乱闘が終わるまでぼぅっと立ち尽くすしかなかった。