取調室に居る男に、は確かに見覚えがあった。
そして自分が彼の目の前に出ても、何の問題もないことも知った。
「あぁ、こた……桂小太郎の元に居った人やわ。せやけど今は、穏健派になったこたと袂を別ってしもうてる。こたにとって良いことに、性根の悪い数人も連れてねぇ」
「内情に詳しいな」
「そりゃあ……」
紫煙を吐き出しを一瞥する土方に、はにこりと笑ってみせる。
「うちはこたと昔馴染みの幼馴染やもの。此処最近は追跡かわすのに必死なのか、とんと顔見せてくれんから寂しいんよ」
嘘ではない。
捕まった男達過激派浪士達の暗躍が最近活発化しているらしく、真選組とは別に桂達も調べている。
桂との関係を知る浪士達は、店の裏手でに会うと現状を軽く教えてくれる。
勿論詳しい内情は教えてくれないが。
「穏健派言うても、こたもなかなか過激なのにねぇ。自分のことはよう見えてないようやわ」
「確かにな」
爆弾を贈りつけたりしないだけで、穏健派になったとは言えない。
けれど昔ほど過激でなくなった桂の変化を受け入れられず、何度も桂に食って掛かった浪士達も中には居た。
己の信じた道を曲げることを良しとしない頑固な桂は、首を縦に振ることはなかった。
幾度目かの諍いの後、歩み寄れぬまま男は桂と違う道を選んだのだ。
「こたほど勉強熱心ちゃうようやし、爆弾も拳銃も自分で調達できんのやろ」
此処へ向かうパトカーの中、男の捕縛されたいきさつを聞いた。
資金調達をしなくては活動できず、漸く見つかったのであろうスポンサーとの繋がりも今回のことで白紙に戻ってしまったことだろう。
土方の止める間もなくドアを開いたは、中に居た男に軽く会釈した。
「……また大層なところで、会いますねぇ」
「っの、女狐! てめえがっ!」
「違いますよ」
今まで不機嫌そうに椅子に座っていた男がに殴りかかろうとして、男を取り調べていた隊員に羽交い絞めにされた。
男との間に山崎がを庇うように立つ。
「俺が組織に潜り込んでいたんです。それに気付かないあんた達が、さんに八つ当たりなんかして。本当、救えないね」
「んだとっ!?」
身動き叶わないままいきり立つ男を正面から見据え、山崎は動かない。
視界を遮る山崎に笑みを浮かべ、目の前の背中にそっと手を添えた。
背後から与えられる温もりに気付いて山崎が顔だけ振り返らせると、は笑みを浮かべて頷く。
男と話がしたいのだ。
気付いて山崎は何かあればすぐに対処できるように、少し横に逸れる。
取調室入り口には土方が無言で立った。
「確かにあの呉服屋さんとはご贔屓頂いとるけど、何も顧客はあの人だけやないし。あの人からは、あんた達の事は一切聞かされてへんよ。うちになんのメリットもないもの。ほんま、早とちりやなぁ」
「それでも、お前が桂にとっての弱点に変わりはない」
が言うと男はにやりと口の端を歪めた。
この時を待っていたのだろう、抵抗もせず羽交い絞めされたまま今度は笑い出す。
まるで自分が主導権を握ったような笑い声に、は不愉快げに一瞬眉を潜めた。
「……そんなこと言うために、わざわざうちの名前出したん?」
今まで吼えていたのはを自らの前に出させるためだったらしい。
忠告のつもりか警告なのか。
どちらにせよ、無用のものだ。
嘆息し答えない男に背を向けて、は土方の脇をすり抜けて廊下へ歩み出る。
背後で男がまだ何かを吼えていたが、は無視した。
「悪かったな、わざわざ出向いてもらったってのに、こんな落ちで」
土方に言われては首を横に振る。
確かに拍子抜けしまった感は否めないものの、男たちが何か企んでいるらしいことは感じられた。
桂に詳しい話を聞きに行く口実にもなったのだから、無駄ではない。
「別にえぇよ。警察に協力するのは、市民の義務やしなぁ」
「しかしあいつの言葉が気に掛かる。今日からでも店の周り警護したほうがいいかもしれねえ」
「…………。えぇよぉ。真選組も暇やないんやし」
「今商売の邪魔だとか思っただろ」
「土方さん、いつの間に読心術なんて習ったん?」
何か企んでいるのならば、真っ先に狙われるのはなのだろう。
だが真選組がうろうろとされては商売に差し障る。
たまに山崎が買い物に来たりもするが、一人ならばどうってことはない、けれど数人うろちょろされると不審がって一般の人が入ってこなくなる。
沖田もちょくちょく遊びに来たりはするが、彼は裏口から入って自宅へ上がりこむので問題はない。
「心配すんな。どうせ奴らも表立って行動できねえ連中だ、見張るなら裏口付近だ」
「あぁ……確かに、そうやねぇ……」
それならば、警護を頼んでも支障は余りなさそうだ。
今日これから開始するという土方の申し出を、は丁重にお断りした。
警護が始まれば自由に外出するのもままならなくなるだろうし、その前に桂に会っておきたい。
店の前まで送るというのをどうにか説き伏せ、は店から離れた場所でパトカーから降ろして貰った。
何も後ろ暗いことはないにせよ、パトカーから降りる場面を人に見られたくはない。
「おおきに、山崎さん」
「いえ、此方こそすみませんでした。あ、俺の携帯渡しておきますんで。明日返してくれればいいです」
無事に帰宅出来たのなら、山崎の携帯電話から土方の携帯電話へ着信を残す。
それが妥協案として提示され、携帯電話の使用方法を簡単に説明された。
明日の警護に山崎が配されたので都合が良いのだ。一晩くらいなら、恐らく携帯電話を使用しないはずである。
「ほな、また明日」
「はい。じゃ、また明日」
大事そうに携帯電話を胸の合わせ部分へ入れ、は山崎の運転するパトカーを見送る。
*
「只今戻りました。土方さん、さんから連絡ありました?」
「あ? ……あるわけねえだろ」
不機嫌そうに答える土方に山崎は慌てて説明した。
店から離れた場所に降ろしたとしても、山崎が屯所へ帰ってパトカーを車庫入れして戻った時間を考えれば、とっくには着いている。
言われて土方は携帯電話を確認したが、着信はおろかメールすらない。
「…………姐さん、家にも居ねえみたいですぜ」
「何でお前番号知ってんだよ……」
の自宅へ電話をした沖田は呼び出し音が鳴り続ける自身の携帯電話を一旦切り、店へ掛ける。
当然バイト生が取ったのだが、はまだ戻ってきてないとの返答だった。
それを聞きながら土方は山崎の携帯電話へ掛ける。
「……山崎、電源切ったのか?」
呼び出し音すらならず、電源が入っていないとのアナウンスだけが返ってくる。
「いえっ、さんに渡したときはちゃんと電源入ってましたよ! 充電もばっちりしてたし、明日まで全然大丈夫なはずですっ」
「てぇことは、姐さん自身が電源を切ったか、」
「誰かに切られたか」
「土方さん、大変です! 今、局長に電話が!!」
土方と沖田はほぼ同時に電話口へ急ぐ。
「はあ? あんた何言ってんですか?」
不可解に眉を潜める近藤の元へいち早く駆けついた土方が、電話のスピーカーボタンを押す。
『だから、こっちにゃ人質が居るんだよっ。あんたもわからん人だな、近藤さんよお』
「だーかーらー! うちにはそんな人質に取られる間抜けな人間は隊員には居ないって言ってんの!」
「近藤さん……和菓子屋がとっ捕まったかもしんねえ」
電話口で叫ぶ近藤に土方が耳打ちした。
途端、近藤の目が見開かれる。
「ぬぁにーっ!? トシ! そういう大事なことはもっと早く言ってよ!!」
「こっちもついさっき確信した所なんだよっ! んで? 相手は何要求してんだ?」
『鬼の副隊長の土方さんか、丁度良い。そっちのゴリラより話が解り易いだろ』
「誰がゴリラだーっ!」
「近藤さん、ちょいと静かにして下せえ。話聞こえねえや」
受話器を土方に奪われ、沖田に脇へ避けられ、近藤は隅で小さく丸まってしまった。
だが今は誰も近藤を気にせず放置する。
「そんで? 和菓子屋がそっち居るって証拠は?」
『今は薬で眠ってる。髪でも切ってそっち送るか?』
「止めとけ。そっちの要求は何だ」
抵抗できない婦女子の、例え髪の毛だとしても傷つけられるのは不本意だ。
それに髪の毛は女の命だというし、後で何を言われるか知れない。
『流石、話が早い。……そっちに居る仲間を、全員此方に引き渡して貰おうか。勿論、この女と引き換えに、な』
「あァ!? ふざけんなっ」
『女見殺しにすんのか? 真選組が。さぞかしマスコミにゃ良いネタだろうなあ』
「くっ……」
本当にが捕らえられたのか、証拠はない。
今はただ山崎の携帯電話を持っているはずのから帰宅の連絡がなく、タイミング良く人質交換の電話が入ってきただけだ。
悪戯電話の可能性だってある。
山崎の携帯電話に掛けているらしい沖田が無言で首を横に振る。
放って置かれて一人で立ち直った近藤が、土方に頷いて見せた。
集まった隊員達は固唾を飲んで様子を窺っている。
「……場所は」
ひとまず人質を奪還しなくては、真選組として面子が無くなる。
*
ぼそぼそと、潜められた話し声が間近で聞こえた。
何処かへ電話を掛けているようで、何か怒鳴っている。
そっと瞼を上げたは、何処か薄暗い部屋の床に寝かされていた自分に気付く。
ご丁寧に両手は後ろでで縛られているようだ。
「やっと起きたか」
自分の置かれた状況を確かめようと身動きしたに気付いたのか、男が声を掛けてきた。
目だけ動かしてそちらを見やると、やはり何処かで見た覚えのある浪士がそこに居る。
「……うちに何の用なん?」
山崎に店の近くで降ろして貰った後、は徒歩で店へ向かっていたはずだ。
途中で脇道へいきなり引っ張り込まれ、口元に湿った布を当てられた。
瞬時に息を止めたが、嗅がされた薬で意識を失ったことまでは覚えている。
「お前自身に用はねえよ。ただの和菓子屋店主には、な。だが真選組にしてみりゃ立派な人質だ」
それに桂にとっても。
上半身を起き上げて座り、下卑た笑いを零す数人の男達を眺める。
虫の知らせとでも言おうか、パトカーを見送って直ぐ携帯電話の電源を切り、袂に入れておいた携帯電話には気付かれなかったようだ。
布越しに形を確かめ、は静かに吐息する。
気付かれれば取り上げられるだろう。
「厠行きたいんやけど」
「……女がそういうこと言うんじゃねえよ」
「カラクリやないんよ? 生理現象やないの」
肝が据わっているとでも言おうか。
むさ苦しい男所帯をものともせず、は堂々と自分の要求を主張した。
泣き喚いたり怯える様子があれば可愛げがあるだろうに、自分の置かれた状況を把握していないようなに男達が呆れる。
「黙ってりゃあ良い女なのに……」
「そんなら人形でも抱いたらどうやろ? 口も聞かない無駄な生理現象も無い。後腐れの無い良い遊び相手になってくれはるわぁ」
「人形じゃ人質の価値はねえよ。おら、さっさと行け」
嘲笑を浮かべたを無理矢理立たせ、男はをトイレへ連れて行く。
後ろでに縛られていた縄を解いて貰い、はドアに鍵を掛ける。
水を流して音を誤魔化しながら携帯電話の電源を入れ、暫くあちこちボタンに触れた。
「おい、早くしろ」
「そう急かさんといてぇ。……これ、どこ押すんやろ」
電話の掛け方や土方の携帯番号を出す方法は教えて貰ったものの、他の操作は教えて貰っていない。
二度三度と音を流して誤魔化しながら、はなんとか携帯電話の使用方法を覚える。
いざというときに通話状態にできれば良いのだ、それさえ何とかできれば良い。
「えろう時間掛かってもうて……」
「本当にな。おい、大丈夫か?」
慣れない手元だけの操作で精神的疲労を感じたは、男が思わず声を掛けるほど疲弊していた。
「閉所恐怖症とか言わねえよな」
「ん、それはない。おおきに」
狭い場所で長らく閉じ篭り、漸く出てきたと思ったら、妙に疲労しいている。
暴れまわったりしていないのはドア近くで見張っていたので知ってはいるが、ただ用を足すだけで何故こんなに疲れているのか。
男には解らない。
部屋に戻ると、男の仲間が何処かへ電話を掛けているところだった。
「……あぁ、丁度良い。話せ」
口の端を歪め、男が受話器をへ差し出す。
誰に掛けているのか判らぬまま受話器を受け取り、
「もしもし?」
『!? 大丈夫か? 何もされていないか?』
電話の向こうは桂だ。
「こた、っ」
「これで俺の話が嘘ではないと判ったな?」
受話器を奪われ、別の男には電話から遠ざけられる。
の身柄と桂の持つ爆弾を取り替える交渉をしているのだろう。
「取引の場所と日時は……」
朦朧とした意識下で聞いた場所と日時を、男がもう一度繰り返している。
あの時は確か、真選組へ電話していたはずだ、近藤や土方という名を口にしていたから。
「こた! 真選組も来る、罠なんやから来たらあかん!」
「! んのアマっ!!」
図星だったのだろう、叫んだを睨み付け頬を叩く。
『っ! 貴様ら、に手を出したらただでは済まんぞ!!』
乾いた音は遮るものがなく部屋に響き、ついで受話器の向こうへも伝わる。
男が持ったままの受話器から、桂の声が漏れ聞こえてくる。
見えなくても音で、男がに手を上げたのが判ったのだろう。
反応のない男への罵倒を口にし出した桂を一蹴し、男は交渉を強引に進めた。
今は無事だが、断れば身の安全は保障しない。
そんな典型的な脅し文句を口にしている。
「こた! 罠やと判うとる場所に来たら絶交やからね!」
「黙れっつってんだろうが!!」
の声を男が大声を張り上げて遮った。
「っ!」
腕を振り上げるのを見て取り、瞬間歯を食いしばり身体を傾けたが衝撃を軽減するだけで、左頬を殴られては床に叩き付けられる。
『っ! おい、! 大丈夫かっ!? ……貴様らっ』
「遅れんじゃねえぞ、桂」
受話器の向こうで騒ぐ桂を無視して男は電話を叩きつけるように切る。
「おい、幾ら何でもやりすぎだろう」
「うるせえっ! 大体てめえらがこいつの口押さえてりゃ穏便に済んだんだよっ! ったく、俺に手ぇ出させやがって……っ」
「……自分の暴力人のせいにして、正当化せんといて」
左頬を押さえ、は自分を殴った男を睨み上げる。
ずきずきと痛みを訴える左頬は、明日になれば膨れてしまうだろう。
「……」
不利な状況にも関わらず少しも恐れる様子のないに、男は冷ややかに見下ろす。
助けが来るわけもない女一人の身で、何処まで気を張り続けていられるのか。
「おいっ」
「ちょっと待て!」
仲間の制止を振り切り、を殴った男が起き上がろうとしていたを押し倒した。
肩を打ちつけ、不満げに頭を上げようとしたの髪を床に縫い付けるように掌で押さえ、髪を引かれた痛みに顔を顰めたのを見て満足げに口の端を上げる。
「てめえ、自分の立場判ってるのか? こっちは攘夷の為に女断ちしてる奴らも多いんだ。いい加減にしねえと襲うぞ?」
「馬鹿っ! 傷付けたら人質の意味がないって……っ」
「この女の自業自得だっ。それに今更、なぁ?」
左頬を押さえるの手を無理矢理退け、男はを見下ろして笑う。
やや膨れかけた左頬に殴られたときに傷つけられたのか、口の端が切れて血が出ている。
「他の連中に見られたくないだろう?」
抵抗なく男を見上げるは無感情に視線を向けていた。
流れる血もそのままに、羞恥に頬を染めることもない。
「たかだかこれだけの血ぃでそないに興奮せんでもええやろ。それともあんた、人を斬ったことはないん?」
「っ!! ばっ、てめえ何強がってんだ!」
「人、斬ったことないんやろ?」
激昂する男に、やはりは無感情に同じ言葉を繰り返した。
返す言葉もなく歯噛みする男を、仲間の男達がから引き離す。
「……悪い」
「別にえぇんよ。うちも悪かったし」
年少らしき男が項垂れた様子でに濡れタオルを渡し、起き上がる手助けもしてくれた。
人質という立場に甘んじないが男を怒らせての結果だ。
自業自得とは云わないが煽ってしまった部分もある。
謝罪を言うのも言われるのも何だかおかしい。
妙な空気になった部屋では隅に寄り、嘆息を漏らす。
「あかんわ……」
交渉の場に桂も担ぎ出されたことに、動揺してしまった。
男達の計画を真選組へ流そうと携帯電話を通話状態にしたのに、桂が来ることを教えたかったわけではない。
咄嗟に桂へ言葉を投げてしまったが、あれでは逆効果だろう。
「……お願いできる立場やないんやけど、ね…………」
さりげなく自分に注意する視線がないかを探り、は右手をそっと口元に寄せる。
お願い、と。
囁く声は思いのほか上ずってしまった。
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