屋形船は嫌だ、と。
 珍しくが拒絶を示した。
 好みではないなどと言葉は口にするものの、拒絶したのは初めてだ。
 素直に聞き入れてやるつもりはなかったが、理由を訊くには違う場所で会うのが良い。
 いつもなら場所のセッティングを押し付ける相棒は今回用を言い付けたので、自らの重い腰を上げざるおえない。
 だが段取り以下全て面倒なので、の家へ出向くことにした。
 酒や気の利いた接客女は居ないが、無駄な邪魔は入らない。
 の酌は毎度のことなのでケチの付けようもない。
「……」
 最近業者を入れたのか、庭木が整えられていた。
 派手な色をした花など育ててはいないものの、ちまちまとした花が所々で色を添える。
 はっきり言って地味な庭だ。
 だが派手好みでないらしい庭だと言える。
 ただし『現在の』、と前置きが付く。
 昔は着物やら態度も派手好きだったように思う。
 高杉の印象では、と前置きが付くのだから、どちらも不正解なのかもしれないが。
「晋にとっては、面白味の欠けた庭やろ」
「判ってんならもっと華を入れろ」
 彼岸花や薔薇など派手で毒味の色が強い華。
 面白味に欠けた庭にひとつでもあればそれが際立つ。
 何なら今度持ってきてやろうかと言い掛けて止めた。
 普通に水やりを欠かさず育てているところが容易に想像できて、つまらない。
 鼻白み、高杉は杯を煽る。
 はそんな高杉の心情が読み取れたのか、小さな笑いを零す。
 持って来た盆には和菓子ではなく酒のつまみが
「ところで、どないしたん? 今日は一人なんやねぇ」
「……」
 万斎を連れて来なくて悪かったな、と嫌味を言うつもりでを一瞥する。
 だが結局高杉は、無言のまま持ってきた手土産を放り投げた。
 の膝に当たって落ちた二振りの刀は高杉の物ではない。
 意味も判らず首を傾げて刀に手を伸ばしたは、指先に触れた鍔の冷気に身を硬くする。
 この冷たさは、知っている。
「てめえが使っていたもんだ」
 必要ないと置いて行ったはずの元愛刀を前に固まったを横目で確認し、満足そうに高杉は片頬を上げた。
 二度と刀は手にしないと、確か誓っていたはずだ。そんなことは高杉には関係ないが。
「──……正確には、うちともう一人、や。確かに後半はうち一人やったけれど」
 微かな憂いと死者を偲ぶ音が混じる声が吐息と共に吐き出され、刀を手に取る音が耳に入った。
 直接見ずとも音で判る、胸に抱く形と色を視界の端に収めながら、高杉はつまみへ手を伸ばした。
「おおきに」
「人に礼を言う時は通じる言葉で言うんだな」
「……ありがとう」
 京訛りが嫌いなわけではない。
 だが昔馴染みが使う京訛りは生来のものではないため、高杉の耳には触り悪い。
 特に礼などを口にされると怖気が走る。
「礼を口にするってことは、また使うってことか?」
「いややわぁ、和菓子屋は刀持ちやあらへんよ」
 揶揄るとはころころと笑い、膝に置いて愛おしげに刀を撫でた。
 上半身を少し後ろへ反らして右手で角度を調整し、高杉は刀を身近にしてもなお殺気立たないをまじまじと眺める。
 刀を目の前にしたあの一瞬の反応は、なかったことにするらしい。
 けれどその一瞬を見逃してやるほど高杉は甘くはない。
「此処最近幕府の狗と密通してねえそうじゃねえか。飼い馴らされたんじゃねえだろうなァ?」
 高杉へ向けたの視線に僅かに剣呑な色が混じった。
 それに高杉は目を細める。
 本日の目的は、それだ。
「……そうやとしたら、どないするん?」
「だとしたら、てめえの生きる価値はねえ。その刀でぶった斬ってやるよ」
「うちから情報収集しとるわけでもない癖に、よう言うわ。自分の刀、使い」
「最後にてめえの血を吸わせてやるのがせめてもの餞になるだろうになぁ。……くくっ、あの瞳孔開いた野郎にほだされたか?」
 それとも惚れたのか。
 皮肉を口にして高杉は喉の奥でくつくつと笑いを噛み殺す。
 だがは再び顔を強張らせた。
 膝に置く刀を握る手に力が篭る。
「阿保なこと……言いなや」
 否定する口調も弱く、高杉は白けた目でを眺める。
 揶揄うつもりが、意図せず急所を突いてしまったらしい。
 杯を置き、立ち上がることなく高杉はへの距離を縮める。
 下から見下すように細めた目でを見上げ、高杉は頬に触れた。
 ふっくらとした頬に指の腹を這わせ、高杉は間近く視線を合わせる。
「なんなら今すぐあの世に送ってやろうか?」
 歪んだ闇を孕む高杉の瞳はの答えを望んではいない。
 くつくつと愉しげに笑う高杉はの耳元へ顔を寄せる。
 固まったままは動けない。
「安心しろ。直ぐに後を追わせてやるよ。……あの世で幸せになァ」
 突き飛ばしてもこの距離では高杉の抜刀の方が早い。
「……まだ、」
 喉に張り付く舌をどうにか剥がし、は声を出す。
 上擦った己の声に思わず失笑した。
 これではまるで高杉を恐れているようである。
 声を耳にした高杉が顔を離し、の顔を覗き込む。
 そして、次の言葉次第で進退を決めるとでも言いたげに嗤う。
「……死にとうないんよ。あんたに納得させるだけの菓子、まだ作れてないんやし。約束やったやん?」
「まだ覚えてやがったのか?」
 高杉の声音に呆れの色が混じり、張り詰めていた空気が音も無く崩れたのが判る。
 稚拙な言い訳で高杉が見逃すとは思えなかったが、それでも気持ち半分を失わせることには成功した。
「どんだけ苦心して完成したものでも、『まあまあ』なんて評価下されてばかりやからねぇ。死んでも死に切れんわぁ」
「菓子は菓子だ。何を材料に作ろうがどんだけ心篭めようが、変わらねえよ」
 未だ瞳に剣呑な闇を覚えさせたまま、高杉はから離れる。
「晋」
 名を呼ぶと、ただ瞳だけを動かし先を促す。
「今度庭に椿植えよ思うんやけど、どう思う?」
 突然の問いに高杉は驚くこともなくにやりと笑った。
「斑入りを贈ってやる」
 白い花弁に血飛沫のような赤が映える品種を。

 ぼたりと落ちるその様は、さぞかしこの侘しい庭にお似合いだろう。