「姐さん。時間、ちょいといいですかィ?」
 引き戸を開けるやいなや、沖田が言った。
 いつも通り勝手に入ってきて縁側に陣取るわけでもなく、入り口の前で立ち止まっている。
 どうしたのだろうと首を傾げ、は草履に足を通した。
「此処では出来ない話なんやろか」
「いつ誰に邪魔されるか、知れたもんじゃねえんで」
 引き戸は常に施錠しない。
 店で呼ばれてもすぐに顔出し出来るようにと、店との境にも何もない。
 は店のバイトに一声掛け、沖田の後を追った。
 いつも飄々として掴み所のない男だが、今日の沖田は声を掛けずらい。
 黙って付いて来てくれということなのだろうと、は何も言わずに数歩後から付いて行く。
 祭りなどがなければ人気の少ない神社へ誘導され、境内中程まで進んでから沖田は足を止めた。
 周囲を窺うように視線を巡らせ、人影のないことを確認する。
「諦めて下せえ」
 わざわざ呼び出され言われた言葉に、は言葉の意味を捉えかねて瞬きした。
 視線が合わないまま発言されても、自分に向かって言われているとは感じにくい。
 境内に誰もいない事は明白なので相手は自分だと判っていても、尚。
「あんたにゃ土方さんは勿体ねえってことでさァ」
 続けられた言葉で、呼び出された理由がやっと解かった。
 隙のない背中を眺めて瞬きし、は小さく笑って口を開く。
「……それは、どちらにとって?」
 感情のこもらない静かな声音に、沖田は振り返った。
 普段通り温和な微笑を浮かべるの真意は、全くもって読み取れない。
 だがそれこそが、距離を取りたいと思わせるものなのだ。
 半端な距離を保ちながら沖田はと対峙した。
「あんたにとっても、土方さんにとっても。失うものはあっても得るものは何もありゃしやせんぜ」
 けれども、沖田のほうもそれは同じ。
 しかしそんな事情は尾首にも出すことはなく世間話をするのと同じ、にこりともせずただの事実を告げる。
 今の状況では、笑みを浮かべないだけ沖田の方が解かりやすいだろう。
 土方が居なくなれば副長の座が巡って来る。
 そうだと思っても、と共に歩ませるのは癪だ。
 それが嫉妬から来るものだと薄々感じてはいる、けれど認めるわけにはいかなかった。
 どちらに対して抱いている感情なのか、沖田自身でもよく判らないから。
 しかし、は沖田の言葉を聴いてもただ黙って微笑んでいる。
 少しでも動揺が垣間見えたのなら、対応も変わっていただろうに。
 そう思い、ほんの僅か、落胆している自分を沖田は感じた。
 しかしだからこそ、には忠告しなくてはいけないのだ。
 言動の裏に何を隠しているのか判らないから、今の内に引き離しておかなくてはいけない。
 もしこのまま接近を赦してしまえば、後戻りのできない場所へ行ってしまう。
 二人とも。
 だから。
「……あんたは」
 何かを言おうと口を開いたの先手を打ち、沖田は言葉を続ける。
 けれど、ただの口を塞ぎたかっただけの言葉であり、自分が何を続けたかったのか、数秒前であるのに覚えていない。
「どうせ土方さんのことなんざ、眼中にねえんでしょう?」
 覚えていないけれど、口は勝手に言葉を紡ぐ。
 開きかけた口を閉じたが、一瞬息を飲んだのを沖田は見逃さなかった。
 変化は本当に一瞬で、瞬きをしていたならば確実に見損なっていたはずだ。
 そうして次の瞬間には感情の伴わない笑顔を浮かべているのを見て、沖田は息を吸い込んだ。
 恐らく今溜め込んでいるものを形にしなければ、この先一生どろどろのまま抱え込んで過ごさなくてはいけなくなる。
 そんな面倒なものは、此処で全て吐き捨ててしまえばいい。
 それから忘れてしまえばいい。
 後々まで引き摺るものは、土方と近藤以外には不要なものだ。
「人の良い笑顔浮かべた裏で何企んでんのか知りやしやせんが、これ以上巻き込むのは止めてくだせえ。あれでも大事な副長ですからねィ。あんまりからかい過ぎると、本気になってしまいまさァ。そうなると姐さんが困ることになるんじゃねえですかい?」
「それは……」
「万事屋の旦那にバレたら事でさァ。俺ァ責任取れませんぜィ」
「沖田さん」
 自分でも呆れるほど言葉がぽんぽん飛び出る沖田を制するように、が名を呼んだ。
 釣られるように口を閉じ、沖田はの言葉を待つ。
「ほんまに土方さんのこと、好きなんやねえ」
「…………」
 感心したようにしみじみ言われたことを理解するのに、時間が掛かった。
「……今、そういう話はしてなかったんじゃねえですかィ?」
 上司の交際を反対しただけで、どうしてそういうことになるのだろう。
 女の思考は理解できない。
「同じちゃう? うちのことは信用できなくて好きになれんから、土方さんに近付いて貰いとうないんやろ?」
「俺ァ、どちらかというと姐さんの方が好きでさァ。土方さんさえ居なくなりゃあ、俺が副長の座に就けますんで」
「それはおおきに」
 イラつけば負けだ。
 はわざとイラつかせようとしているようにしか思えない。
 浮かべる笑顔が誰かとダブる。
 あり得ないそれになんとなく息を吐き、沖田は頭を振る。
「あんた、誰のことならきちんと向き合って真面目に取り合ってくれるんでィ」
「今はそんな類の話は、しておらんよねぇ」
 揚げ足を取って笑うに、沖田は目を細めた。
「……先に話をはぐらかせたのは、どっちでィ」
「あり得ない心配しとるから、和ませてあげただけ。そう心配せんでも、うちは土方さんも沖田さんも銀の字も、同じだけ好きやから」
 子供に言い聞かせるように、やんわりと歌うように言葉を紡ぐ。
 そんなの真意は図れない。
 探るように眺めていても、の笑顔からは何も読み取ることができなかった。
「姐さんが一番に想うのは、何処の誰だか聞いたら答えて貰えやすかねィ?」
 同じだけ好きな人ばかりなら、誰一人として特別な相手は居ないということだ。
 誰も特別に想えない人間が、他人に対して見せる優しさなど偽善にしか受け取れない。
 最早沖田はに対して不信感しか持ち得られなくなっている。
 それを肌で感じているのだろう、は一層笑みを深くする。
「うちのことを一番に考えてうちのことだけで精一杯で自分のことおざなりでうちのこと守る言うてた、うちの半身。この世でもあの世でも一番愛おしい人。会わせてあげられんと、堪忍ねぇ」
「…………」
 だから。
 は皆平等に好きなのだ。
 特別は別に居て、誰もその存在を超えることはできない。
 当然だ、死んだ人間に勝てる者など、この世には居ない。

 の語られない過去に土足で踏み込んだ気分だった。
 故に、沖田はと土方を近づけさせたくないのだと気付いた。
 二人とも二度と逢えない相手に想いを馳せて、先に進んでいるように見せてその場で足踏みしている。
「話、終わったようやし、店が心配やから先に戻らせて貰うわ」
 軽く会釈して踵を返すの背中は無用心だ。
 このまま軽く走りこんで袈裟掛けに斬り付ければ簡単に斬られてくれそうで……。
「……だから、諦めて下せえ」
 無意識に漏れた独白は届かない。
 本来自分に与えられたのはこういう役割ではなかったはずだ。
 適当に泳がせて情報を得て、適度な距離を保つはずの相手にどうしてこうもざわめかされてしまうのだろう。
「面倒くせェ……」
 傍に寄り添っても、結局傷を舐めあうだけで、何も得られない。
 土方には、解っている未来のおかげで、袂を別った相手が居たはずだ。
 姉と彼女の違いは何かといえば、結局彼と彼女は相手を失っているということだけではないだろうか。
 姉は駄目で彼女は良いというその違いは、恐らく。

 視界から完全に消えた女の影を、頭を振って完全に追い出す。
「あっちにも釘刺さねェと」
 少し曇ってきた空を珍しく見上げて沖田は一人ごちた。
 これ以上、二人が近付くことのないように。