一体全体何がどうしてこうなっているのか。
土方には理解できなかった。
ふらりと立ち寄った和菓子屋の裏側で、始めは普通に会話をしていたはずだ。
だが気付けば土方はの膝枕の元、耳掃除などして貰っている。
右耳はまだ良い。
顔は庭を向いているのだから空やら名前も知らない植物などを見て、こんがらがった頭のままぐるぐると考えを巡らすことが出来た。
それでは反対側、と素直に逆を向いて瞼を開けば、目の前には帯が見えた。
きっちりと結ばれた帯締めなどを数秒無心に眺め、己の体制に気付いて慌てて起き上がろうとする。
「土方さん、危ないから起き上がんといて」
こめかみを押さえ込まれ、上目遣いでを睨み上げ、普段と違うアングルに言葉に詰まった。
何も言わずに視線を下げ、所在なげに視線を巡らせて着物の合わせを確認し、硬く瞼を閉じる。
この頭の位置は物凄く危険だ。
視界が明るいと妙なことを考えてしまいそうで、土方は局中法度を念仏のように唱える。
だが、目を閉じていると他の器官が活発になる。
抓まれた耳朶やめん棒の差し込まれる耳の穴がこそばゆい。
和菓子屋だからなのか、否、砂糖や蜜とは異なる甘い香りが鼻腔を擽り、居心地の悪さを助長させる。
いつの間にか脳裏で唱えていた局中法度は途切れいた。
こうなるともう唱えるべきものは思い浮かばず、他の事で鼻も頭も心も誤魔化すように何かで刺激を受けたくなる。普段から慣れ親しんでいる、それでいて刺激が強いもの。
「……煙草吸いてぇー……」
「もうちょっとやから、堪忍して」
頭の上でが笑う。
目を眇めて窺うと、何が楽しいのか妙な含み笑いをしていた。
「なん……」
「はい、しまい」
何なんだと問いかける途中で耳掃除の終了を告げられ、中途半端な礼を口にして上半身を起き上げる。
そのままが奥へと行ってしまうので、土方は近くに退けていた灰皿を引き寄せ懐から煙草を取り出し一本咥える。
火を点け漸く人心地付いたとばかりに息を吐き、土方はなんはなしに庭を眺めた。
手入れが行き届いている。
和菓子屋を経営するのに忙しく、家事や庭弄りなどに裂く時間などどこにあるのだろう。
否、もしかしたら懇意にしている庭師でも居るのかもしれない。
土方の知る由もない交友関係を築いているようであるし、それに裏戸はいつでも開いていて誰でも出入り自由だ。
空き巣などの用心はないのかと他人事ながら憂うのは、仕事柄万全の警備体制が当然という考えが元になっているのだろう。
休日だというのに、ちっとも休まらない。
「おい和菓子屋。おめぇんとこにゃ空き巣も丁寧なもてなしすんのか?」
「うちはそこまで他人信用してへんけれど、何や問題でも見つけはりました?」
脈絡もない話の切り出しに、盆を持って帰って来たは首を傾げた。
庭を眺めて煙草を吹かす土方は本日休日だとかで、着流しに腰にはただ一本の脇差を差している。
何気なく眺める背後にも気配を探っているのか、がわざと音も立てず右後ろに立てば振り返りもせず左側へとずれる。
言葉を返したその音の出所で気付いたのかもしれないが、それにしても普通ならば一度くらいは振り返る。
「の割りにはこの場所にゃ、人の出入りが激しいようだし庭も整えられてんなぁ?」
脇に置かれた盆を一瞥し、土方がを横目で伺う。
誰の、何のことを言っているのかと瞬きし、は庭へと視線を移した。
「あぁ……。つい先日頼んで整えて貰うたばかりなんよ。親しい人しか通さへんけど、見栄えの悪い庭で菓子は食べとうないやろうな、思いまして」
「そうかい」
土方の短い返答には、納得したとの響きはある。
だがその納得の仕方には色々と混ざっているのだろう。
例えば、この庭を眺める存在が誰なのか。
剣呑な光を僅かに見せる土方の黒い瞳を盗み見て、はひっそりと笑う。
土方が知るの知り合いはほぼ全員と言って良いほど土方もよく知る人間ばかりだ。
その中で、沖田や神楽が庭の外観など気にするわけがないと判っている。それから銀時も。
新八などは多少見ていて褒めもするだろうが、常識の範囲内での言動だ。
ならばわざわざ庭師を呼んで整えさせるというのは、それだけ風情や雰囲気を大切にする知識を持つ者だと容易に想像できるだろう。
そして確かに、は数日前に此処へある人物を迎えていた。
そう派手ではないが夜中の立ち回りはやはり噂になる得るらしい。
それに対峙した相手が彼の配下に近しい間柄だったらしく、事実を確かめるための訪問ではあったようだ。
大切な昔馴染みに嘘を吐く訳もなく、は正直に事情を話した。
複雑な表情を浮かべた桂は、に返すための曖昧な言葉を探すように庭へ視線を向けてはいたが、庭に対する言葉はなかった。
元から興味のない人だから期待はしていない。
整えられる前からそう乱雑だったわけでもない庭なのだから、気付く人間も居ないだろうと思っていたのだ。
まさか土方に一番早く気付かれるとは思っていなかった。
……訪問自体稀なのだから、予想できるはずもないのだけれど。
「──……代金、てめえで払ったのか?」
「うちの家の庭なんやから、当然うちが支払う義務がありますよってに」
視線を横に流して意地の悪そうな笑みを浮かべた土方に、は首を傾げた。
どういう意味だと問うに土方は答えをはぐらかすようでもなく、ただ一言、別に、と短く返答する。
「今更あんたが囲われ者だって言われようが、納得できると思ったんでな」
「あら」
店の主だと言う割りにはいつ訪問者が来ても相手をしているし、夜は夜で如何わしい店にも出入りしていて手馴れている。
それに、男の扱いも手馴れているように見える。
見ようによっては、確かに高杉辺りに囲われているように見えなくもないはずだ。
だが、残念ながら高杉には女を囲うマメさはない。
「うちを囲う奇特な人は、この江戸には居らんし」
江戸の外や宇宙へ目を向ければいるかもしれないが、今のところ囲われても良いと思える男には会っていないのだとは笑う。
「そういう土方さんこそ、女性の一人や二人、囲うてるんやないですか?」
「んな甲斐性ねえよ。メンドくせえ」
屯所と女の所を行き交う暇があるのなら、土方は桂を追うことに時間を割く。
男女関係に疎いわけでもない、今までに付き合った女性は多いが今までの女性との別れは大体みな同じ理由だ。
会う時間が少ないだのマヨネーズや煙草の量について注意という名の文句を言い、他の女に目移りしたとの悋気を見せたり、段々と足が遠のく。
しまいには面倒になり、土方から別れを切り出すことは少なくない。
まぁ悪癖のせいで逃げられてもいるのでどちらにも非はあると言えるはずだ。
「面倒なんて言うたらあきませんよ。どうせ女の人が我慢したりいじらしくしてても、土方さんの方が先に飽きたりしたりもするやろうし」
「…………だから女は面倒だっつうんだよ」
図星を指されて舌打ちし、土方は煙草を灰皿の底に押し付けた。
「土方さんには、少々自分を押し殺して後を付いて来てくれる女の人の方がお似合いかもしれませんねぇ」
「どういう意味だ、そりゃ」
「ちょっとした悪態にもへこたれない、可愛い女の人。好みやないです?」
「何でそんな話になってんだ。俺ぁ帰ぇるぜ」
にこにこと笑顔のまま、は言い募る。
何か気分を害するようなことを言ったのかと自分の発言を思い返すより先に、土方は形勢不利と判断して立ち上がった。
刀を片手に猛者達と死闘を繰り広げるのは慣れているが、こういった修羅場は苦手だ。
仕舞いに泣かれてでもしたら、もうどうしようもない。
「大したお構いもできませんと、すみませんなぁ」
「けっ。心にもねえこと言ってんじゃねえよ」
笑みを浮かべた相貌を崩すこともなく土方を見送るに土方は内心嘆息する。
には何故かペースを崩され、己を保つのが精一杯になってしまう。
相手が沖田や山崎ならば、怒りに任せて抜刀寸前まで行くことも多々あると言うのに。
「邪魔したな」
「土方さん」
引き戸を開けた土方をが引き止める。
と言っても立ち上がることもなく、縁側に腰を下ろして微笑を湛えたまま振り返った土方を見返す。
「嘘やよ」
「は?」
「土方さんになら、自分殺してでも後に寄り添って付いて行きたくなる。せやからどんな相手でも問題ないはずやろうねぇ」
「──……、」
それはお前自身も当て嵌まるのかと言いかけて、土方は寸での所で言葉を飲み込んだ。
質問した所で素直に答えるとは思えない。
否、むしろ答えを聞くのが恐ろしい。
「……邪魔したな」
引き戸の外へ出て、飲み込んだ言葉の変わりに深く息を吐く。
刀を交えてもいないのに、今日は幾つか死闘を潜り抜けたように酷く疲れた。
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