月明かりがなくても、街灯だけで視界は充分だった。
それに、相手が持つ刀が光を反射して、容易に居場所は知れる。
「…………」
自ら居場所を教えてくれるとは、なんて律儀な連中だろう。
嘲笑にも似た笑みを浮かべる瞬間さえ惜しいほど、沖田は攘夷志士を切り伏していく。
フェンスの向こう
全員切り倒して刀の血飛沫を払い落し、一息吐いたその時。
背後で物音がした。
殺気そのままに振り返ると、一般人が今まさに引き戸を通って姿を現したところだった。
「おや、まあ」
「──っ!」
敵ではない、と自分に言い聞かせて刃の凶行を押し止める沖田を温和な瞳で認め、彼女は微笑みを浮かべる。
「音がするから何かと思えば、沖田さんやないの」
「……そうかィ、ここァ店の真後ろでしたねィ……」
血溜まりの中で血飛沫を浴びたまま平然と立っている沖田を見ても、取り乱す素振りは一つも見せない。
苦悶の表情を浮かべたまま昇天している男達が見えないはずもないのに、動揺すらしないその強靭な心根は魅力の一つと言っても、恐らく過言ではないはずだ。
だが、今は。
「すいやせんねえ、今片付けさせやすから」
例え表通りからは見えないにしても、いつまでも放置するには見栄えが悪い。
沖田は刀を仕舞うと懐から取り出した携帯でいつもの場所へと電話をかける。
「山崎、二三人寄越してくだせえ。和菓子屋の店裏にゴミが十数人落ちてやすから」
了解しました、との声を聞いて電話を耳から離す。
沖田さんは今何処に、と問う声は聞こえなかった振りをして受話を終了させる。
そしてそのまま電源を切った。
さて、と振り返るがもうそこには誰も居ない。
薄情な、との言葉が一瞬脳裏を過ぎったものの、そう称するだけの関係でもない。
まあいいかと立ち去ろうとする沖田を引きとめるように、引き戸が再び開いた。
「喉、渇きません?」
和菓子屋店主、は豪胆である。
例え今が夜だとしても、煙るように漂う血の匂いは鼻につく。
それに街灯のある中、倒れ付す武士の顔は苦悶に満ちている。
それを一度目にして屋内に戻っておきながら、今度は水を湛えたコップを持って来る。
「……折角だから、頂きやしょう」
此処で怯え、沖田に媚びる様子など見せたのなら、敵と見誤って斬り倒していたかもしれない。
故意にしろ、不可抗力にしろ。
コップを受け取り、冷えた麦茶で喉を潤してから沖田は哂った。
「ついでに少し休ませてもらっても?」
ここまで走ってきて疲れたんでさァ。
嘯く沖田のサボりたいという本音を既に悟っているのか、は可笑しげにくすくすと笑いながら引き戸を開けて入るよう促す。
「うちらのために昼夜問わず戦うてるお人達やし、どうぞ遠慮なく」
は豪気だ。
夜半に刀を血で汚した男を招き入れて、それでも笑っている。
豪気でなければただの阿呆だ。
未だ血の高ぶりが取れないというのに、無防備に背を曝している。
不意を突いて一薙ぎすれば、容易に半分になるであろう小柄な身体。
避けきる自信が備わっているようには見えない。
けれどこのまま、簡単に斬り伏されてくれそうには見えない。
は解らない。
何を考えているのか、誰を想っているのか。
近付いたと思ったその矢先に遠く離れてしまう。
かと思えば隣に寄り添っている時もある。
掴み所のない人物だ。
山崎が死体処理班と共に和菓子屋の裏へ来たとき、既に沖田の姿はなかった。
一足先に屯所に戻ったのだろうと軽く考え、壁一枚向こうにまさか居るとは考えない。
迷惑にならないようにとできるだけ静かに早急に片付け、山崎達は屯所へ帰還した。
そこで初めて沖田がまだ帰ってきていないことを知る。
「山崎、総悟はどうした」
「え? まだ帰ってないんですか? ていうか、電話途中で切られたし」
重要問題と思っていない山崎に土方は苛々と眉間に皺を寄せた。
「山崎ぃ……っ」
抜刀しようとした矢先、ひょっこり入口から沖田が顔を出す。
「あ、沖田さん!」
「どうしたんですかィ、土方さん。今にも山崎斬り捨てかねない顔してますぜィ」
助けて下さいぃ、と縋る山崎を横へ押しやり、何食わぬ顔で沖田は帰還の言葉を口にする。
「帰ってこないから心配したぞ、総悟、……ジャケットは、どうした?」
「あァ……裾に血が付いてたんで、置いてきやした」
「何所に?」
「女のところ」
屯所の空気が一瞬止まる。
「ぬぁあにぃい〜!?」
「どこの誰だー! 総悟ぉ〜!!」
「どこに女なんか囲ってたんですかー!!」
「囲ってねえよ。もう俺ぁ寝るぜぃ」
爆発したように騒がしくなる全員の叫びを無視し、沖田は自分の部屋へと戻る。
土方も驚いたことには驚いたが、沖田と関わりのある女と云えば、万事屋の神楽しか思い当たらない。
しかし彼女や沖田に甲斐性があるとは思えないし、服が汚れるのも二人の喧嘩の結果だ。
「……」
咥え煙草に火を点けて、土方は立ち去った沖田の背を無言で見送る。
何か他に隠していることがある。
* *
日のあるやや早い時間、沖田は見回りと称して和菓子屋の裏手へと来た。
未だ拭き取り切れていない血糊が塀や地面に落ちてはいるが、明るい陽に曝されて感じ入る所は何もない。
「お邪魔しやすぜ」
勝手知ったると云わんばかりに引き戸を開け、中庭へと足を踏み入れると、間のよい事にが新撰組の上着を持って縁側へ出てきたところだった。
「あぁ沖田さん、お早う。血ぃは落としたんやけど、まだ乾いてんから待っててなぁ」
「別に構やしません。丁度よかった、縁側少し貸してくだせえ」
礼を言いことすれ、謝られる謂れはない。
ポケットからアイマスクを取り出し、返事を待つことなく縁側へ寝転がる。
衣擦れの音を耳で捕らえながら、沖田はの行動を静観する。
脇に差した刀は、いつでも抜き切ることはできる。けれど使うことはないだろう。
だが危険はないと言い切ることができないのは、を信用していないからだ。
だのに殺伐とした危機感も全く感じることはない。
奇妙な浮遊感の中、居心地が良くも悪くもないこの空間に居ることに、特に疑問を持とうとも思わなかった。
邪魔する者が居ない。
それだけで良かった。
本当に寝入ってしまっているのか、規則正しい寝息が聞こえてきたことには意外そうに沖田を振り返った。
笑顔を浮かべていようとも、何処か影のある目はを検分していた。
なので、こうも無防備を曝されてしまうと逆に戸惑ってしまう。
少々ふざけたアイマスクをそっと覗き込み、本当に寝ているのか確かめてから、物干し竿にかけた新撰組のジャケットの形を整える。
暖かな日差しは仮眠を取るには良いだろう。
肌寒ければ毛布をかければよいのだし、暑そうなら扇で扇げば良い。
平穏そのものの行為を思い、いつも以上に表情を和らげる。
塀の向こうに一つ、ぴりぴりとした気配があるのは感じられるが、昨夜のようにわざわざ自分が出て行く必要もない。
昨夜はたまたま、思わず出てしまっただけだ。
目が冴えてしまって眠れぬまま月を眺め、外の騒ぎに気付いた。
でなければ、今、新撰組の沖田総悟が縁側で寝入るわけもない。
年相応の顔もできるのだろうと、妙に年寄り臭いことを考えてしまってから、は頭を振った。
予感が正しければ、もう暫くすれば来客がありそうである。
そうなれば沖田も目を覚まさせざるをえないだろうし、ジャケットも返し時だろう。
思い、は突っ掛けを脱いで屋内に入った。
* *
ジャケットを置いてきた場所へ沖田が向かうだろうという土方の予想は中った。
追跡を依頼された山崎は和菓子屋の裏から敷地内へと入った沖田を確認してから、土方に連絡した。
連絡を受けて山崎と合流した土方は、なかなか出て来ない沖田に苛々と眉間に皺を寄せる。
山崎はそんな土方と二人きりという状況を打破すべく、何か話題を探すが勿論この状況で出てくるネタはない。
下手な物言いをすれば、土方に八つ当たりされるのは必至だ。
(早く出てきてくださいよ〜っ)
そうすれば土方の怒りの矛先は沖田に向くのだし、殺気に満ちたこの路地裏から脱出できる。
「……ったく、総悟の奴。全っ然出てくる様子ねえじゃねえか」
「そうですねえ、どうしましょうか」
前に回って和菓子屋から入るほうが良い気はする。
店を持っているといっても裏手の家は女の一人暮らし。
妙な噂を立てられても困る。
進言しようと口を開いた山崎を無視し、土方は舌打ちすると煙草を落とし、爪先で揉み消す。
「行くぞ」
「え、はい。て、どこへ?」
「決まってんだろうが。おめえはバカか?」
前へ回る気はなく、土方は引き戸の前へ立つ。
引かないのだろうかと横から見ていた山崎は、土方でも戸惑うことはあるのだなと妙に感心してしまった。
この戸を開けて中に居るのは沖田と和菓子屋女店主の二人だ。
常に反目しているようで並び立っている沖田相手に気負うものがあるわけもなく、だとすれば戸惑う理由は女店主に対するもののみということである。
「……──邪魔ぁ、するぜ」
一度息を吐き出して止め、土方は意を決したように引き戸を引いた。
柔らかな日差しの下、物干しに掛かった新撰組のジャケットが揺れていた。
縁側には我が物顔で寝そべっている沖田の姿。
塀の中と外では何故か空気が違う。
天人が肩で風を切って歩く外の世界とは一線を画した、奇妙とさえ思える平穏の時が流れているような……
「いらっしゃい、土方さん、と、久しぶりやねえ。山崎さん」
「──……あ、どうもご無沙汰してます。本日はうちの隊長がお世話になっているようで」
盆を持って姿を現したに、惚けていた土方と山崎ははっとし、いち早く我に返った山崎がへこへこと頭を下げる。
以前潜入調査と称して店に入り込んだ時に世話になった。
正体もばれている。
「ちょお待ってなぁ」
寝ている沖田の邪魔をしないようにと縁側に盆を置き、は笑いながらまた奥へと姿を消す。
取り残された盆を覗き込むと、三人分のコップと小皿があり、小皿の上には三種類の羊羹が乗っている。
「ありゃあ、なんかバレてたみたいですねえ」
「おめえの気配の消し方がまずかったんだよ」
自分のせいではないと土方は言い切り、アイマスクをした沖田の顔を覗き込む。
乗り込んでくることを予想はしていたようだが、二人とは思っていなかったようだ。
恐らくもう一人分を取りに行ったのだろう。
「ったく……寝てんのか起きてんのか、はっきりしねえ顔しやがって」
奥に向かって不要と叫ぶのも失礼に当たるし、寝ている沖田を無理に起こす行為もやりにくい。
二人はやることもなく、所在無げに風に揺れる新撰組のジャケットを眺めた。
「お待たせさせて、えろうすみませんねぇ。土方さんか近藤さんが来はるとは思うたけど、まさか二人で来るとは思わへんかったから」
先ほどと同じ形の盆に一人分のコップと小皿を持って来て、は土方と山崎に席を勧めた。
といっても沖田が寝転がっているせいで座れるスペースは限られている。
「要らない言われても、うちは接客が商売やさかい、堪忍なぁ」
そう前置きをして、は土方と山崎の前にコップと小皿を置く。
沖田の分は頭の近くに盆に乗せたまま置き、は自分の分と思わしき一人分を座敷の中に置いた。
「で、何がどうなってるのか聞いても?」
一応コップに口を付け、中身の麦茶で喉を潤す。
土方が麦茶を飲んだことで山崎も麦茶に手を伸ばし、ついで羊羹をつまむ。
「わあ、これ新作ですか? 美味しいっ!」
「ほんま? 嬉しいわぁ。これなぁ……」
「山崎黙ってろ。あんたも、俺の質問に答える気はないのか?」
和気藹々と和やかな空気を作り出したと山崎を睨み、土方は煙草を咥える。
山崎は恐縮したように首を竦めた。
「顔見知り程度の女の家で煙草吸うなんて無粋なことせえへんのなら、答えてもええけど?」
ライターを構えた土方はその言葉に驚いたように目を大きくし、逡巡した後舌打ちとともにライターと咥えたばかりの煙草を仕舞う。
「おおきに。まあ話すことはそうないんやけどね。昨日の夜は少し寝苦し思うて起きてたら、外で剣劇の音がしはるでしょ? 覗いてみたら沖田さんが居てなあ、喉渇いたやろうから水差し出して、血が付いていたようやからジャケット借りて、洗った。それだけやねえ」
「で、今に至るって?」
「信じるも信じないもお任せしますけど、今話したこと以上のことは、知りませんねえ」
おっとりとした笑顔を浮かべているものの、は食えない人間だ。
土方は以前接したことからも、そう感じている。
笑顔の裏で何を考えているか知れない。
下手に突いて藪から蛇を出すような真似は、あまりしたくない。
要するに苦手なタイプだ。
「あー、そうかい」
「あれ? 珍しいですねえ、副長」
負けを認めるんですかと言いかけて山崎は押し黙った。
土方が睨んでいる。
「せやけど、わざわざいらっしゃるなんて、沖田さん大事にされてるんやねえ」
「別にそういうわけじゃねえ。勝手な真似されちゃ困るからだ」
「そうやねえ」
「……なんだその『照れ隠しなんてしていじらしいわあ』って顔は。違うっつってんだろっ」
「はい、はい」
「だからその『しょうがないわねえ』て顔止めろっ!」
「うるせえなあ。おちおち寝ていられねえじゃねえですか」
土方の声に沖田がアイマスクを外して起き上がる。
「しかも土方さん、最後の台詞は『しようがないお人やねえ』に決まってるでしょう」
「いやどっちも男声で棒読みだと怖いですよ」
「うるせえ山崎っ! てめえはミントンでもしてろっ!」
「いやー、今日はラケット忘れちゃって……」
日常茶飯事なのだろう、真選組のやり取りをは微笑ましげに眺めている。
「あぁもういい! おら、ジャケットもそろそろ乾いただろ、さっさと帰るぞ」
「へえへえ……ちっ、土方うぜえ」
「聞こえてんだよ総悟!!」
→