なにやら最近、開店したばかりの和菓子屋が人気らしい。
 店内には茶屋も設置されていて、買った商品をすぐに頂ける、その和やかな雰囲気が人気の秘密のようだ。
 情報収集に適しているかもしれない。
 ふと思い当たって店へと偵察へ向かったのは、和菓子に興味があったから、という個人的な理由が大半を占めていたのは。



 勿論、口が裂けても言えない。





かけたあの




 隠密行動が主であるはずの桂は、目の前の大盛況の和菓子屋を見て笠を上げる。
 さてどうやって店へ入ろうか。
 普通に並んでいたのでは、いつ真選組に出くわすか判ったものではない。
 だからといって割り込んで入れるかといえば、それもなかなか無理そうだ。
 どうしようかとぼんやり眺めていると、後ろから肩を叩かれる。
 何だ、と振り返った頬に刺さる人差し指。
「……」
 指先を辿ればにこにこ笑う女性の姿がある。
 何処かで見たことがある気がした。
 見覚えのある笑顔に桂は目を大きくし、言葉を失う。
「こんなところで、何してるん?」
 知らないイントネーションに覚えのない声が耳朶を打ち、奇妙に落胆した気持ちを持った自分に驚く。
「いや……和菓子屋に来たのだが、人が多くて……」
「せやねぇ、このまま入るんはきついやろうなぁ」
 のんびりとした物腰で人差し指を戻し、女性はあっち、と路地裏を指差した。
「裏はうちの家やから、良ければでええんやけど、縁側で話ししよ?」
 名前も知らない男を家に引き込むのか。
 一瞬眉を潜めた桂は、けれど女性の方は自分を知っているらしい空気に何も言わなかった。
 自分は彼女を知らないままという好ましくない状況で、しかし歩き出した彼女を無視するわけにもいかず、桂は息を吐くと諦めて後についていく。


 *

 *


 申し訳ないが名前を訊いてみなければいけない。
 確かにお尋ね者で名が知られているとはいえ、だとすれば匿うような行為は許諾できるものではない。
 しかし実際昔の知り合いであるのだとすれば、忘れてしまっていることに謝罪の言葉が浮かばない。
 裏の引き戸から縁側へと案内され、女性が奥へ引っ込んでしまったので、桂は所在無く縁側に腰を下ろしたままぐるぐると考え込んでしまっていた。
 笠も錫杖もそのままの桂は、じっと動かなければ地蔵様のようだ。
「別にそう畏まらんと、楽にしたらええのに」
 苦笑いしながら盆を持ってきた女性は、桂の横に腰を下ろす。
 目だけ動かして女性を窺う桂に、女性は小首を傾げる。
「……もしかして、こたもうちのこと、忘れてしもうた?」
「こた……俺は、桂小太郎……だが」
 いつも呼ばれるのは苗字のほうだ。
 しかも変なあだ名を付けられ、いつも訂正している。
 いきなり親しげに名前を呼ばれても、桂は困惑するだけだ。
 悲しげに眉を寄せて目を伏せ、持ってきた盆からガラスコップと水羊羹を桂の前に置く。
「なんや皆冷たいなぁ。うちはずぅっと、ちゃんと覚えてるのに」
「いや、すまない……名を聞いても、良いか?」

……。!?」
 ぎょっ、と。
 目を剥いて桂は縁側から飛び退る。
 まるで幽霊でも見るような形相に、は少し頬を膨らます。
「そういう態度、うちに失礼やないの」
「あ、いや、すまない……というか、本物……?」
 恐る恐る座っていた場所に戻ると、桂はへ手を伸ばした。
 は桂が伸ばす手を拒絶することなく眺め、次に何をするのか待つように柔らかな笑みを浮かべたままそこに居た。
 桂は震える指先で、の頬に触れる。
 確かな感触に息を飲み、掌全体で柔らかな頬を包み込む。
 それから耳の形を確かめるように指先を滑らせ、艶のある黒髪を撫で、そのまま抱き寄せた。
「無事だったのか……良かった……」
 壊れ物を扱うようにそっと抱きすくめられ、は目を細める。
「あの後京都の叔父に引き取られてしもうて、散々礼儀作法やらなにやら叩き込まれてしもうたわ」
 おかげでこの有様なんよ、と桂に抱きすくめられたままはくすくす笑う。
「口調も雰囲気も違うから、驚いた。まったく、人騒がせな」
「それはこっちの台詞やろ? こたはお尋ね者やし銀はやる気のなさ全開で全然うちのこと思い出しもしてくれへんし」
 桂と苗字で呼ばれることのほうが多い。
 昔のような舌足らずで名を呼ばれ、桂はくすぐったげに笑った。
「久しぶりだなあ、その名で呼ばれるのは。何だ、銀時の奴は思い出しもしないのか。薄情な奴だ。しかしそれも、無理はない」
 女性特有の身体の柔らかさと、和菓子の匂いを十分堪能してを離し、桂は漸く笠を脱いだ。
 幼い頃は同じだけの背丈があった。身体もまだ幼く凹凸など存在せず、の髪は短かった。
 双子の弟と時折入れ替わったりして、は男勝りでいつも活発だった。
 だから、大人になっておしとやかな空気を纏われてしまうと、どうも違う人のような感じがしてしまう。
 戦争が始まり、桂達は攘夷志士として戦争に参加し、の弟も同志だった。
 は男装してでも参加すると言って聞かなかったのをどうにか説き伏せ、別れてしまった。
 戦死してしまった弟のためにを探したが、既に消息は不明となっていた。
 捜す当てもなく、他の戦死した志士達と共に、の弟は葬られている。
「何よ、そんなにうちは変わってるん?」
「女らしくなった。昔のお転婆振りを知っている身の上としては、全くの別人と言ってもいいくらいだ」
「失礼やなあ」
 むくれて桂を小突く振りをして、は笑う。
 確かに自身、それは感じてはいた。
 木登りや竹馬、共に剣を振り回していたあの頃とは全く違う。
 引き取られた先は京に名高い和菓子屋で、その跡取り息子と共には礼儀作法も接客業も、話し方まで叩き込まれた。
 おかげで営業スマイルが地顔となり、お客様第一主義のおしとやかな看板娘へ変貌を遂げた。
 けれど剣を捨てたわけではなく、『女の癖に』となじられながらも一人夜中にこっそり竹刀を振るっていた。
「一本、お手合わせ願い所やけど?」
「いや、遠慮しておこう。お前とは剣を交じらせるよりこうして語らうほうが楽しい」
 昔話に花が咲き、桂は遠慮したのだが帰りに和菓子の詰め合わせを土産に頂いてしまった。
「また来てくれはる?」
 妹のように、姉のように親しくしていた間柄だ。
 久々に会って多少のぎこちなさは残るものの、桂はの申し出に勿論と答える。
 嬉しそうに笑うの笑顔に、桂は安堵する。
 攘夷戦争で多くの親しい仲間を失った。
 切れてしまったと思っていた縁が残っていたのは、桂にとっても朗報だった。
 だが銀時への報告はしない。
 銀時自身が思い出さなくては意味がないからだ。
 それににも釘を刺されている。




 *

 *



 指名手配犯の桂小太郎が最近和菓子屋へ出入りしているらしい、と真選組に情報が入った。
 勿論偵察には女装した山崎が店へバイトとして潜入したのだが、店内で桂の姿を見たことはただの一度もない。
 そつなくバイトをこなして店主を含め従業員と仲良くなった山崎は、危機感を覚える。
(やばい。このままじゃ俺、この店に骨を埋める気がしてきた)
 早く早くと気は急くも、全く埒が明かない。
 ガセではないかと思い始めた矢先に、店と兼用の自宅に来客が最近多いらしいことに気付いた。
 店主のがよく和菓子と茶を持って自宅へ下がる。
 数時間後に戻ってくるが、とても上機嫌だ。
 と桂との接点は不明だが、恐らく自宅へ回っているらしいことは掴めた。
 バイトの休憩時間、山崎はこっそりと裏へ回ってみた。
 引き戸の隙間から中を覗き込み、縁側で二人、談笑しているのを確認する。
 と桂だ。

「副長。桂の姿、確認しました」
 バイトは楽しかったが山崎の本業は真選組だ。
さん、お世話になりました」
 そっと、山崎は頭を下げる。



「手洗いを借りてもいいか?」
「えぇ、どうぞ」
 普段の着物姿で来るようになった桂は、エリザベスも同行している。
「エリーはお茶のお代わり、いる?」
『お願いする』
 勝手知ったる他人の家、部屋の奥へ姿を消した桂を見送り、はエリザベスのコップにアイスコーヒーを注ぎいれた。
 そして引き戸へ目をやる。

「真選組の近藤勲だ、ちょっといいかい?」
 数度のノックの後、近藤が数名の部下を連れてやってきた。
 縁側にはエリザベスとが居る。
 桂と共に行動するエリザベスが居ることで、やはり桂が此処へ来ているのだと真選組は確信する。
「何の用でしょう?」
 動揺する素振りもなく、はにこりと笑った。
「ここに指名手配犯の桂小太郎が居るとの情報が我々の耳に入った。大人しく引き渡してくれるな?」
「嫌どす」
 近藤の申し出をはあっさり却下する。
 にべもなく断られ、近藤たちは動揺した。
「え、いや、しかし……」
「うちに居るのはうちの昔馴染みの友人で、折角江戸で再会できたんよ? それにうちは指名手配犯の桂小太郎なんて、知りません」
 表情の読めないエリザベスは、真選組を無視してアイスコーヒーを頂いている。
「しかし、確かな情報筋で……」
 なあ、と近藤は当惑したように土方を振り返る。
 土方の後ろには女装姿の山崎が居た。
「山崎さん」
「はいっ」
 土方が口を開きかけたがそれを制するように笑顔のが山崎を呼ぶ。
「今日限り、首」
「えぇぇっ!? そんなあ、さんっ!!」
「うるせえ山崎っ! てめえは真選組なんだから和菓子屋のバイトなんぞしてる暇はねえんだよ! おい女」
「女なんて人、この世にはたくさん居りますよ」
「今この場に居るのはてめえ一人だ。隠し立てすると、女だろうと容赦ぁしねえぞ?」
 半分瞳孔の開いた土方は刀に手をかけた。
「何でも刀で解決できる思うたら大間違いや、土方さん」
「だとよ土方さん。ここは一発ぶっ放しやしょうや」
「てめえは黙ってろ総悟! つかそんなもん振り回すんじゃねえ!」
 いつも通り大砲を構えた沖田を怒鳴りつけ、土方は煙草に火を点けた。
 確かにの言う通り、女一人に刀を振り回して脅すやり方は武士として情けない。
「お前さんの言う通り何でも刀で解決しようとは思っちゃいねえ。けど指名手配犯をかばい立てすると、お前も一緒にしょっ引くことになるぜ」
「トシ、もう少し穏便に、な?」
 近藤が諌めるが、土方にはこれ以上の穏便な解決方法など知らない。
 大概はこうして脅しをかければすぐに屈服する。
 どだい真選組に歯向かう連中などは過激派など向こう見ずな奴らが多いのだ。
 和菓子屋店主などという平和な職業の、しかも大人しそうな女性が抵抗しても無駄な足掻きだろう。
 喫煙しながら睨みを利かせ、土方はの出方を待つ。
「土方さん、言うんやったなあ」
 笑顔のまま、が麦茶を注げ足した湯飲みを持って立ち上がる。
「ここは禁煙なんよ。煙草の煙と匂いで和菓子の味と香りが落ちてまうやろ?」
「あぁ、そいつぁ気が利かなくて悪かったな、けど……っ」
「トシっ!」
「副長っ!」
 消す気はないと続けようとした土方の顔に冷えた麦茶がかけられた。
 一瞬何が起こったのか把握できない土方は、周りで騒ぐ近藤や他の隊員たちに顔や肩を拭かれ、徐々に意識を取り戻す。
「……女ぁ……っ。ってめえっ、何しやがる!!」
「うちは言います。乗り込んでくるんやったら、ちゃんと名前くらい覚えてくれはると良いんやけど」
「上等だ! てめえ表に出ろ!」
「トシ、落ち着けってっ。幾らなんでも抜刀はまずいからっ!」
「大人げねえなァ、土方さん」
「総悟、お前も止めろっ!」
 近藤や山崎達が土方を押さえるなが、沖田は縁側に座ってエリザベスとともに茶菓子をちゃっかり頂いている。
「やぁ、土方さんに名前呼んで頂けるなんて光栄やわぁ。お手合わせは次の機会に。楽しみは取っておくほうやから」
 にこにこと笑顔のまま、は引き戸を指差した。
「す、すまんっ! また改めて出直してくるっ。総悟、帰るぞっ!」
 土方を後ろから羽交い絞めしたまま、近藤はに指差されるまま引き戸から出て行く。
 これ以上居座ってもは何も言わないだろう。
「じゃあまあ失礼しやす」
 みたらし団子を咥えて、沖田も飄々と出て行った。
 土方はまだ怒鳴り散らしているのが聞こえていたが、やがてその声も遠くなっていく。
「……もうええよ」
 笑顔のまま真選組を見送ってから暫く置いて、が言った。
 障子の影から桂が出てくる。
……、」
「別に庇ったわけやないよ。うちは嘘は言うてへんから。『指名手配犯の』桂小太郎は知らへんもの。うちは幼馴染のこたに会うてたんやから」
 口が上手いとはこういうことだ。
「……そういう言い逃れも、習ったのか?」
「いややわあ。うちに口で勝とうなんて、十万年早いんちゃう?」
 うふふ、と和やかに微笑むだが、言ってることは凶悪だ。


 *

 *


「こんにちはぁ」
 真選組屯所に似つかわしくない声が響く。
「はいはい、お待たせしましたって。えぇぇっ!?」
 迎えに出た山崎が驚いて後ずさる。
 数日前に自分を首にしたが菓子折りを持って困ったように佇んでいた。
「あ、あのうぉ……今日はどういったご用件で……?」
「お久しぶりやねえ山崎さん。やっぱりこっちの格好のが似合うわぁ。あぁそうそう、近藤さんと土方さん、居てはる?」


「…………」
「…………っ」
 苛々と火の点いた煙草を食いちぎらんばかりの勢いで睨みつける土方と、その土方を横目で宥めるようにして座る近藤の前に、が頭を下げて腰を下ろしている。
「土方さん、そんな怖い目して睨んでちゃあ、さんも表上げられねえや」
「てめえは黙ってろ総悟。つかいつの間に和んでんだよっ」
「まあまあ二人とも。ほんとこのまんまじゃさんが話できないから」
 近藤が本格的に宥めに入り、はくすくす笑いながら顔を上げた。
「おおきに。それと、この前は失礼な態度で申し訳ありませんでしたわぁ」
「んじゃあ本当はあのとき桂を庇ってたんだな?」
「うちは話した通り、幼馴染とのお茶会を楽しんでいただけです。それを無粋に邪魔されて、腹が立たないわけはないでしょう?」
 あくまでも桂との関係は認めない。
 だが否定もしない。しかしそれは真選組の誰も気付かない。
「土方さんには大変申しわけないことしてしもうたから、今日はお詫びにと思って」
 うちの自慢作なんですよ、とが差し出した折箱にはさまざまな種類の和菓子が入っていた。
「んなもんで誤魔化される気はねえ」
「誤魔化す気ぃは、全然ないんやけどなぁ」
 凄む土方に怯む様子はなく、は笑みを浮かべたまま小首を傾げる。
「別にもうどうでもいいじゃねえですか、土方さん。この最中、絶品ですぜ」
「てめえ和菓子で懐柔されてんじゃねえよ!」
「トシ、お前も食え! ウマいぞぉ」
「近藤さんまでっ!」
「気に入っていただけて、光栄やわぁ」

 土方以外は懐柔成功、のようである。