晴れた夜空は小さな星の煌きも鮮やかで、どちらからも口を開かずただ夜空を眺めて座っている。
「…………」
いつの間にか灰皿には五本分の吸殻が溜まっており、五本目を口に咥えたところで土方はを横目で窺う。
「いいのか?」
何を、と問い返すに灰皿を目で示し、それからマヨネーズ型のライターを点ける。
咥えた煙草に火はまだ点けていないものの、手首を少し動かすだけで火は点く。
そんな土方にはころころと笑い、今更と首を振った。
「それだけ吸うておいて、何で今頃聞くん?」
答えを聞いて満足したのか、土方は火を点けた煙草の紫煙を肺の奥まで深く吸い、窄めた口から細く紫煙を吐き出す。
「……出会い頭に水かけられたのを思い出した」
苦々しく舌打ち間際の口調で言われ、は口角を上げる。
「嫌やわぁ土方さん。あの時かけたのは麦茶やったやないの」
「麦茶も水も同じだろうがっ。とにかく、初っ端からあんな手荒な扱い女から受けたのは初めてだった」
「あら。そやったら、うちは土方さんの初めての女いうことになるんやねぇ」
「お前より手荒な扱いしやがる女は居るがな」
「あら。それは残念」
誰を思い出しているのかは検討もつかないが、土方はくつくつ笑う。
新八の姉、妙のことを揶揄しているつもりだった土方は、がそれ以上食いついてこないことに笑いを納めて横目で窺った。
知り合いだと思っていたのだが、不思議そうに土方を見返すを見る限り二人はまだ知り合ってもいないらしい。
そうして会話が途切れてしまえば、どちらも口を開かずただ夜空を眺める。
隣に居る相手を意識していないわけではない。
だが、意識しすぎて言葉が見つからないわけでもない。
妙に気持ちは落ち着かないのに、居心地が良い。
相反する心は己のものなのか相手の心情を感じ取ってしまっただけなのか、区別がつかぬまま黙って縁側に座っている。
「…………あんたにゃ、俺は似つかわしくねえんだとよ」
ふいに紫煙を吐き出した土方が、ぽつりと漏らす。
視線は月を眺めたまま、ともすれば独り言かと聞き逃してしまいそうな呟き。
「誰がそんなことを?」
「総悟」
は二三度瞬きをして土方を眺める。
それから月へ、視線を移した。どれだけ眺めても目が合わないのなら、見つめる意味が無い。
「……土方さんにうちは勿体無いんやて」
「誰が……て、総悟の野郎か」
「ご名答」
流石やねぇ、と笑うは舌打ちして煙草を灰皿に押し付けた土方を見、笑いを納めた。
結局沖田の言う通りなのだろう。
土方は真選組のことが大事で、近藤や沖田のためになら身を捧げる覚悟は出来ているはずだ。
その心意気に水を差すつもりはないし、立派だと背中を押してやることも支えることもできそうにない。
死んで欲しくないと、縋り付いて邪魔をする可能性だってある。
だからそんな真似をしたくないから、は土方を特別に見ることはしない。
「……つぅか、何でんなもん第三者が決め付けんだよ」
「端から見てても不似合いなんやろう? うちと土方さんは、全然べっこの方向見てるわけやし」
幕府のためにと日々過激な活動さえ厭わない真選組と、攘夷を掲げて真選組と真っ向から対抗する桂達と繋がる。
「土方さんとこたが目の前で争う時にはうちはきっと、こたを助けるやろし」
「裏で攘夷浪士どもとつるむ奴ぁ、誰であろうがたたっ斬る」
大事なものも正反対で、好きなものも全然合わない。
けれど。
「で、本当にいいのか?」
新しい煙草に火を点けて、紫煙を吐き出し土方はにやりと笑う。
「夜やしねぇ」
薄暗い夜の闇に細く上がる紫煙を見送って、は笑い返す。
「いつの間にか灰皿なんざ用意しやがって。おめーのダチに煙草飲む奴ぁいねえだろうが」
「うちの友人関係全部洗っとるん? 流石やねえ。せやけど、表出せない友人で、灰皿使う人も居るかもしれへんよ」
「居たとしてもどうせ家に招いたこたねえだろうが」
「慎み深い人やからねぇ、女の一人住まいには踏み込まないんやて」
「あぁそうかい。そりゃ俺に対するあてつけか?」
「どう取ってくれても構わへんよ」
どちらでも当て嵌まるのだから。
含む笑いで土方を眺めてみれば、眉間に寄った皺の下でやや殺気がかった瞳が細まった。
視線で人を射殺せるものならば、やってやるとばかりに焦点を無くす視線は、好きだ。
無意識に伸びた手が土方の目尻に触れる。
途端、黒い瞳は殺気を消して、呆れたように距離感の無い指先を見やる。
「……お前、本当に夜と昼とじゃ大違いだな、おい」
「夜闇は覆い隠してくれはるもの」
綺麗なものも、汚いものも。
誰にでも平等にやってくる夜の闇は、静寂と安穏を与える代わりに先の見えない不安を誘う。
昼の明るさに怖気て隠す弱い心も、誰にも見られない闇の中なら少しずつでも表に出てくる。
家の中に明かりは付いていない。
二人を照らすのは月と星と、少し遠くの街灯の灯かりだけだ。
それでも離れた距離ならば、互いに顔色一つ解らない。
漏れる吐息も僅かな表情の変化も手に取るように判るのは、それだけ互いの距離が近いから。
手を伸ばして取った指先は冷えていて、土方は熱を込めるように握り込む。
「だったら朝が来りゃ、この逢瀬も終いってことか?」
朝が来てしまえば元通り、ただの和菓子屋と真選組副長の立場で、溝のある距離で接する。
それでいいかと睨め付ける土方に、は微笑む。
逢瀬などという言葉を土方が使うのは、似つかわしくない気がした。
「うちら、恋人同士やったんやろか?」
逢瀬は主に恋人同士で使われる言葉だ。
確かにこんな夜中に誰にも見つからずに顔を突き合わせて会話をするということは、逢瀬には近い。
けれど、どちらも互いに愛を囁いたことがないのも事実。
「さあな。俺ぁそんなつもりはねえ」
「奇遇やねぇ、うちもないんよ」
にやりと笑う土方ににっこり営業用満面笑顔を返し、は握り込まれた手に少し力を加えて握り返してみた。
親指以外握り込まれてしまっていて、どれだけ力を加えたところでびくともしない。
あてつけに、親指の腹で手の甲をやんわりさすってみる。
「」
前触れなく呼ばれた名に反応して顔を上げると、唇に柔らかいものを押し付けられた。
近すぎてぼやける土方の目から逃げるように瞼を閉じる。
こじ開けられた口中に進入してきた舌が焦らすように歯列を舐め、舌を絡め取る。
吸いもしない煙草の苦い味が、口中に広がる。
そして始まりと同じように直ぐに土方は離れてしまう。
「……ムード作りくらい、してくれてもえぇんちゃう?」
余韻に浸ることもなくは土方を軽く睨む。
土方はその視線を受けてにやりと笑った。
「メンドクセーから、夜だけの関係で良いんじゃねえか?」
「これだから男は嫌やわぁ。日陰者なんて、うち恥ずかしゅうてお天道様に顔向け出来へんわ」
「そもそも所帯持ちじゃねえんだ、日陰者じゃねえだろうが」
くつくつ嗤う土方を軽く睨みつけてみせ、はわざとらしく溜息を吐く。
「あぁ……ほんま、うちは土方さんと全然釣り合わへんよ」
「誰が何言おうが無視しときゃいいんだよ。大体何で世間体考えて付き合う相手選ばなきゃなんねえんだ」
「うちと付き合う気も無いくせに、よう言うわ」
「てめえだって俺より桂の野郎取るんだろうが」
「それは当然。土方さんかて近藤さん命やないの」
「ったりめーだ」
寄り添い共に月を眺め見ていても、心まで一緒にというわけにはいかない。
互いに譲れないものがあって、どちらかを選べと迫られれば迷いも無く取るべき道は決まっている。
それでも、離れるには距離が近過ぎる。
土方は握り込んだ手に力を込めた。
痕が残りやすいらしい肌にあざを付けたところで、何かが変わるわけもなく。
「……どうでもいいだろ」
誰に見咎められて責められたとしても、誰にも迷惑はかけていない。
確かに傷付く者は居るだろう。だが、それは個人の気持ちの問題だ。
「諦め早いんやね」
ぶすむくれる土方がおかしくて、は笑う。
握り込まれた手指はいつの間にか土方の手首ごと膝に置かれ、顎にかけられた手に応じて少し上向く。
再び口付けを落とされ、はもう一度瞼を閉じた。
これ以上思案を廻らせるより、土方の言う通りどうでもいいと全てを投げ出し、全てを預けてしまえば良い。
*
朝方、結局泊まることにした土方を引き戸の中から見送る。
目覚めたばかりの土方が、いきなり愛を囁くこともなかった。
にこりともせず用意された朝餉を食べて煙草を咥え、一服した後満足したのか屯所へと帰る。
何かが変わることもなく、恐らく屯所で沖田に捕まればいつも通り絡まれて朝帰りを非難されることだろう。
指摘すれば嫌そうに顔を顰め、解っていると返された。
結局と土方が恋人同士になったのかと言えば、そうではないと誰もが答えるはずだ。
それから道端でばったり会っても、二人の間に甘いものが流れる様子はない。
土方がの所へ訪れる回数が多くなった気もするが、それもただの気のせいだろう。
「姐さん趣味が悪ィや」
話して聞かせた記憶もないのに、ある日突然団子を食べて顔を渋くした沖田が言った。
何のことだと不思議そうに瞬きすると、きっちり三色団子を食べて棒を皿に落とした沖田がわざとらしく溜息を吐く。
「この団子、こっちで作ったもんじゃねえでしょう?」
「よう気ぃついたねぇ。隣町で美味しいいうて有名やから、味見がてらに買うて来てみたんやけど」
「外れでさァ」
口直しとばかりに茶をがぶ飲みする沖田の言う通り、期待した割には味が良くない。
固くなった餅に着色料の味と色が悪趣味にマッチして、は一口ずつ齧ってみただけで後はごめんなさいと団子に向かって謝罪した。
「何事も試すのは良いことかもしれやせんが、男見る目はもう少し育てた方が身のためですぜィ」
「そう悪いものでもないと、自分では思うとるんやけどなぁ。周りの男性は皆えぇ人柄ばかりやし」
勿論沖田も数に入っていることを告げると、嫌そうに眉を潜められてしまった。
は土方とのことは誰にも話していない。
訊いてはいないが、恐らく土方も話していないはずだ。
公言して自慢するほどの若さはないし、おざなりな言葉をかけられるのも煩わしいからと、何も言わない日常は続いている。
帰りやすと立ち上がる沖田の背中を眺め、は口角を上げた。
「……此処で沖田さんの刀奪って襲ったとしたら、きっとうちは斬られてしまうやろなぁ」
誰に、と名を出すのも今更だ。
沖田は振り返り、少しばかり興味を持ったようにを見た。
それから所在なげに上げた手で髪を掻き混ぜ、吐息を漏らす。
「姐さん本当、趣味悪ィや……。それともマゾなんですかィ? どちらにせよ、俺ァ簡単に刀奪わせやしやせんぜ」
「真選組がこたや晋助捕まえて処刑なんてするんやったら、うちにも考えあるし」
「つうかサドですかィ。手始めに山崎辺り捕まえて、手酷い目に合わせそうでさァ」
「そうやなぁ。山崎さんなら、簡単に捕まってくれそうやもの」
それを言うなら近藤もあっさり捕まってくれそうだが、きっと最後まで土方や沖田達が助けに来ると信じて疑わないだろう。
そしてが解放してくれることも、最後の瞬間まで疑わない。
「──……」
どう言葉を返そうか、珍しく考え込んで空を見上げた沖田を現実に引き戻したのは、聞き慣れた怒鳴り声だった。
「総悟ォォォーっ!! てめ、また命令無視してこんなところに入り浸ってんじゃねえ!!」
「こんなところとは、ご挨拶やねぇ」
壊されるほどの勢いで開け放たれた引き戸から、土方が怒髪天を点く形相で沖田を睨みつけている。
「あーあー……見つかっちまったィ……。そんじゃ姐さん、俺ァ土方さんと一緒に桂捕まえに行くんで、また」
早くしろと怒鳴る土方を無視し、飄々と手を上げて沖田が軽く頭を下げる。
「今度は美味しい団子用意しておくさかい、気ぃ付けて」
「期待してまさァ」
全く急ぐ様子も無く土方の元へ歩いていく沖田を見送る。
引き戸を閉める間際、土方がを無言で睨みつけた。
それに笑顔で答え、はそろそろ来るであろう幼馴染の為に新しい湯飲みと和菓子を用意すべく、奥へ引っ込む。
暫くして
「ーっ! ヅラ連れてきたアルよー」
「リーダー、ヅラではない、桂だ」
怪しげな煙を纏いながら煤汚れた神楽と桂が、塀を乗り越えて姿を現した。
「いらっしゃい、神楽ちゃん、こた」
どうやら真選組は、一足違いで桂を逃してしまったらしい。
Fin.