「団長!!」
 手助けするつもりはなかった。
 宇宙海賊春雨の一員でもただの人でしかない自分に、夜兎を助ける力はない。
 けれど身体が動いてしまった。
 無理だと頭では判っているのに、身体は心に忠実で、刀を振るっていた。
 固そうな上皮に覆われた剥き出しの緑色の二の腕に一撃。
 骨まで届くことなく動きを止めた刀を下へ凪いで引き抜き、襲い来る拳をしゃがみ込んで避ける。そしてそのままアキレスを狙う。
 悲鳴に似た雄叫びを上げながら倒れる巨体を飛び退って回避し、立ち上がると同時に駆け出す。
「っ!」
 無事を確認するより早く、気配に気付いた桃色の頭が振り返った。
 狂気に濡れ見開かれた瞳が愉しげに歪んだ笑みを張り付けた口元。
「っ!」
 肌が粟立ち、思わず身を竦ませたは足を止めた。その一瞬の躊躇が、の命運を分けたのか。
 躊躇なく繰り出された傘をはかろうじて刀で受け止める。
「くっ!」
 が、勢いを殺しきれず峰を押さえるように左手を添えたのだが、その左手ごと肩口へ押しつけられる。
 そして──
「──甘い」
「っ!?」
 何処か愉しげな声と共に見知った顔が間近に迫っていた。
 にぃっ、と口の端を上げた神威と目が合う刹那、は身体ごと意識を吹き飛ばされた。





 具 箱 の 中 に は







 意識を取り戻した時、まず見えたのは見知った天井。
「…………っ!」
 春雨船内の自分の部屋だと思い出した途端、左肩に激痛が走る。
 恐る恐る布団をめくると、誰が着替えさせたのか自前の部屋着で、左手が白い包帯で覆われている。
 否、左腕がギプスで固定され、左肩口もしっかり包帯を巻かれている。
 全治何ヶ月か判らないが、夜兎の一撃を受けてこれだけで済んだのは運が良い。
 間合いがもう少しでも狭まっていたのなら、恐らく片腕を失っていたかもしれない。
 安堵か倦怠か、嘆息しては目を閉じる。
 が、慌てて上体を起き上げた。その瞬間、左肩を中心に全身へ痛みが走り、息が止まる。
「──……っ!」
 静かに深く息を吐き、ゆっくりと吸う。
 呼吸が合る程度整うのを確認し、布団から這い出る。
「生きてる……」
 外気の空気に触れ、己が生きているのを改めて実感した。
 攻撃されたその瞬間は、確かに神威には己が敵に見えていた可能性はある。
 が、最初の一撃を受け止めたあの時、神威はを見た。
 相手がだと認めてなお攻撃の手を緩めることはなかったし、ましてやこうして意識を失うほど叩きの召された。
 邪魔だったから、の一言で片付けられる気がしたが、気付かない振りをする。自分の予想で決めつけられるほど、彼は底は浅くない。

 自室を出て左右の廊下を確認し、人影ないのを確認する。
 神威が今何処に居るか検討がつかないももの、彼のお気に入りの場所は知っていた。その場所へ向かえ、ば恐らく。
 無理をしないようゆっくりとした足取りでは歩き出す。


 身体能力が特出しているためか、神威を始め夜兎は高い所が好きらしい。万一足や手を滑らせて落下したところで、怪我一つせず平然と立っていられるだろうか。
 船内の主な様子を見渡せる高台の手摺り。
 そのお気に入りであろうそこに、腰を下ろしている後ろ姿を見つけた。
 予想通りの場所に神威が居ることに安堵し、隣に立つ長身の男を見て足を止める。
 神威の副官とも言える阿武兎だ。
 完全に声を掛けるタイミングを見失ってしまったのは、その阿武兎からの名が出たからだった。
「……やりすぎじゃないですかねえ?」
「やだなあ阿武兎。あんな場面で敵味方見分けろっていうほうが無理だよ」
「あんた程になりゃ人間と天人の違いなんて、すぐつくでしょうに」
ほど人に近 い天人なんて、あの場所では俺と阿武兎だけ だったじゃない」
「……、だからさぁ……」
 にこにこと、淀みなく綴られる言葉に阿武兎は嘆息を漏らした。
「あんまり苛めすぎると嫌われちまいますよ、隊長」
「オレが? 誰に?」
に」
に? それはあり得ないよ」
 足を揺らして上体を反らし、本心の見えない笑顔で神威は笑う。
がオレを嫌うなんて絶 対にないよ」
「あー……そうですか。そりゃゴチソウサマなこって」
 呆れを通り越した阿武兎の声を背に、はきびすを返していた。
 神威が何か返していたように思うが、遠くて聞き取れない。
 重い身体を引きずるように、のろのろと部屋へ戻る道を辿る。
 神威を裏切らない。それは事実だ。が頼る相手は、神威しかいない。
 けれど神威には阿武兎が居て。夜兎の仲間も春雨の部下達もいる。
 神威にとって、はどういう存在なのだろう。居ても居なくてもよい存在なのか。
 戦場で安易に近づけばあっさり切り捨てられても運が悪かった、の一言で済まされるような、数合わせの……
「神威、隊長……」
「なに?」

「──っ!!」
 無意識にこぼれた呟きに返ってくるはずのない返答が間近で聞こえ、はびくりと身をすくませた。
 先ほどまで阿武兎と話をしていたはずの神威が肩越しから顔を覗かせている。
「た、隊長……っ」
 どうしてここに、いつの間に。動揺して言葉が続かない。
 そんなをにこにこと笑顔で神威は覗きこんでいる。
「だから、なに? 何でそんなにびっくりした顔して」
「あ、いえ……」
 心に想い描いた人物が唐突に目の前に現れて、は上手く言葉を紡ぐことができず視線を落とす。
 探していたはずなのに、問うことがあったはずなのに。
 頭が真っ白で、呼吸も乱れる。心なしか動悸も激しくなった気がして、は胸を押さえた。怪我のせいだけではない、息苦しさに膝が笑う。
 そんなを愉しそうに神威は眺めて笑った。
「そんなにオレと居るのが嫌?」
「まさかっ!」
 弾かれたように顔を上げ、神威の言葉を否定した。その拍子に左肩が悲鳴を上げたが、は顔を一瞬歪めただけに止める。
「……ふぅうん」
 神威にはの強がりが見え見えで、その一生懸命さがおかしい。
 笑顔のまま手を伸ばし、真新しい包帯の巻かれた左肩に触れた。
 包帯越しにも判る強ばりに益々笑みを深くして、置いた手に力を加える。
「っ!!」
 激痛に息を呑むはだがしかし、神威を払い除けようとはしない。それどころか震える膝で必っ死に立っている。
「オレはと居ると楽しいよ?」
「あ、有り難う、ございます……っ」
「なんか辛そうだけど?」
 そりゃアンタのせいだろうが、と突っ込む役目も居ない中、神威は素知らぬ顔での顔を覗き込んだ。
 左肩に置いた手指にそっと力を込めて。
「……っ! いえ、っ」
 人であれば僅かな力も、夜兎の加減した力は悪ふざけの域を越える。
 骨が折れると思えるほどの激痛は、気を抜けば意識が飛びそうになる。
 漏れそうになる悲鳴を噛み殺して、は神威に微笑みかけた。
「私も、っ、団長と居ると、……、嬉しいです……っ!」
 一緒に居て楽しい。だけどそれ以上に嬉しい。
 例え厭きたら捨てられてしまおうと、他の部下達と同じように捨てゴマ扱いでも。
 こうして少しでも特別扱いをしてくれる、それが。
「──そっか」
 神威の笑顔は変わらない。
 けれど肩に置いていた手を離す。
「ま、それでいいけど」
「は? ぇ? きゃっ!?」
 前触れなく動いた神威はの背中と両膝の後ろに手を回し、そのままは担ぎ上げられた。
(近い近い近いっ!)
 は目の前にある神威の顔を直視できず、俯く。
 逃げようにもぴったりくっついた身体は、神威によって抱き抱えられている。
 いわゆるお姫様抱っこの状態で、恥ずかしい。
「団長、あの……っ」
「怪我人のくせにはフットワーク軽いから」
「や、足はとくに問題ありませんから……っ」
 だから早く降ろして欲しい。
 羞恥から紅潮する顔を俯かせるに対し、神威はどこか嬉しそうだ。
 人一人抱えているのに足取り軽く、けれど神威は船内をわざと遠回りしているように歩き回る。
「団長〜……っ」
 船員の視線が痛い。
は弱いんだからさ、あんまりあちこち歩き回るのは感心しないな」
「歩き回るわけ、ないじゃないですか……っ!」
 天人しかいない春雨に、人間は一人。味方の居ない場所で弱みを見せるつもりはない。
 なのにこんな怪我をした姿で、しかも神威に抱き抱えられて船内を歩く廻るなんて、弱い自分を暴露しているようなものだ。
「この船でが勝てる相手なんて居ないし、味方も居ない」
「知ってます」
 だから、気丈に振る舞う以外道はないのだ。
 誰も頼らず誰にも弱みを見せず、人であろうと容易に壊れるものかと、息を吐く間もなく神威についてきた。
「だから、」
 鼻歌を歌う調子で神威は急に立ち止まると、部屋のドアを器用に足で開ける。
「怪我した時は大人しく部屋に籠もって治療に専念した方がいいよ」
「え?」
 いつの間にかの部屋に着いていたらしい。
 敷かれた布団の側に腰を下ろした神威はを降ろした。
 唖然としているの背中に手を入れ、横にしてくれる。
 何を企んでいるのか、と疑いたくなるほど甲斐甲斐しい。
「団長?」
 神威は起きあがろうとするの額に人差し指を当て、それを押し止めた。
「早く良くなってくれないと、オレの相手がいないでしょ?」
「……」
 笑みは消えない。けれどその笑みが寒々しく感じてしまうのは、何故か。
「早く治すよう、努力します」
「ん、そうして」
 子守歌でも歌おうか。
 が丁重に断ったにも関わらず、神威はを布団の上からぽんぽん叩きながら鼻歌を歌った。
 知らない曲は到底子守歌には聞こえなかったが、規則的で心地よい刺激は眠気を誘うには丁度良い。
 は側近くに神威が居ることも忘れ、眠りの世界へと誘われてしまった。


「…………」
 静かな寝息が聞こえてくると、神威はそれまで浮かべていた笑みを納める。
 安らかな寝顔のの顔を無感情に眺め
「これくらいで壊れる玩具には、興味ないよ。まだまだオレを楽しませてくれなきゃ」
 ──拾った甲斐がないだろう?
 口角を上げ密やかな笑みを浮かべる神威の言葉に、答える者は居ない。
 言葉に含まれる毒は艶やかで冷ややかな笑みであるのに、目元だけは優しい色が含まれていた。
 幸か不幸か、その色を確かめる者も、居ない。