懐から取り出した煙草を一本咥える。
 マヨネーズ型のライターを探して懐を探り、咥え煙草に火を点ける。
 路地の壁に寄り掛かったまま、土方は表通りへ視線を向けた。
 非番の今日、煩わしい喧騒に関わりたくないという現われであれば良かったのだが、生憎土方の場合それが目的ではない。
 暫く表通りを眺めていたが、見知った顔がないことを確認すると煙草を取って深く紫煙を吐き出す。
「……よし」
「土方さん?」
「っ!?」
 安心した瞬間に名を呼ばれ、土方はその場を飛び退った。










 路地裏の奥へと後ずさった後、自分に声を掛けた相手を認めて息を吐き出す。
「何だ、あんたか……」
「ご挨拶やねえ」
 嘆息する土方に苦笑じみた笑いを漏らし、は路地裏へ一歩足を踏み入れる。
「あぁ悪かったな、今……」
「あれ、こんなところで何してるんですかィ?」
 だと気付いたことで安心した土方が、へ近付こうと歩き出した瞬間だ。
 路地裏を覗き込むに背後から沖田が声を掛けてきたのだ。
 沖田の声を耳にした途端、土方は路地裏にあったゴミ箱の影へと素早く身を潜める。
 その素早い身のこなしには呆気に取られ、目を瞬いてただ見送る。
「何か居るんで?」
 何やら呆然としているの脇からひょいと路地裏を覗いた沖田だったが、何も目ぼしいものは見当たらない。
 覗きこんだ格好のまま、少し顔をずらしてを見上げる。
「え、あぁ……。猫が居ったんよ。もう逃げてしもうたようやけど……」
 頭の中を見透かすように見上げられ、は困ったように笑みを浮かべた。
「そうですかィ。まあ、そういうことなら別にいいんですがね」
 そういうことにしときやしょう、と空とぼけに付き合ってくれるらしい沖田は身体を元に戻すと頭を掻いて周囲を見渡す。
 制服姿の沖田は仕事中のようで、しかも誰かを探しているようだ。
「誰かお探しなん?」
「へえ。昨日給料日だったんですが土方さんが今日は非番で休みなんで、たかろうかと」
 同じように給料を貰ったはずの沖田は当然のように言う。
 だがその発言のおかげで、土方の反応の理由を知ることができた。
 得心行ったと頷くの所作をどう受け止めたのか、沖田は飄々とした態度を崩さず言葉を続ける。
「だのに今朝早くに屯所を出て、姿を晦ましてしまったんでさァ。見つけたら遠慮なくたかってやってくだせえ」
「……おおきに」
 噴出したいのを誤魔化すように口元にそっと左手を添え、なんとかは笑いを噛み潰すことに成功した。
 自分も給料日だったはずなのに自分の分には手を付けず、沖田は土方の給料で豪遊するつもりらしい。
「じゃあ、俺ァあっちのほう探してきますんで」
 が何か言わなかったことに気付いてはいたようだが、それが土方だとは気付きもしなかったらしい。
 沖田はあっさりとを置いて行ってしまった。
 のんびりとした仕草で周囲を眺め、は近くに真選組の制服がないことを確かめる。
「──居ないようやねえ」
 独り言のような呟きに答える声はなく、代わりに背後でゴミ箱が蹴倒された音がした。
「……悪ぃ。一つ貸しだな」
 間近で聞こえた声に上向くと、平然と煙草を咥える土方の顔が真後ろにあった。
 ゴミ箱の影へ逃げ込んだのと同一人物とは思えない。
 そのギャップには思わず噴出する。
「ほな、早速返して貰おかなあ?」
 笑いながら冗談めかして言うと、露骨に顔を顰められた。
 折角沖田から逃げられたというのに、貰った給料を早々に使用するのは遠慮したいのだろう。
「少しつきおうて貰うだけやから、そんな顔せんでええよ」
 言って歩き出すの後を、土方は素直に付いて行く。
 目的のある外出ではないようで、幾つも店を覗いては買うこともなく出て行くの後から付いて回る土方は、途中で自分の間抜けさ加減に気付いた。
 付き合って貰うとは言ったものの、それに土方が同意を示したわけではない。
 ただ答えも聞かずに歩き出したために、そのまま付いて来てしまっただけだ。
 確かに土方自身にも当てがあるわけではなかったので、疑問を感じる必要もなかった。。
 のだが、数軒付き合っても荷物を持たされるわけでもなく、服などに時々意見を求められるだけ。
 自分でなくても良いのではないかと思い始めるのは当然だ。
「誰でも良かったんじゃねえか……」
 思わずぼやいた土方に気付いたが、顔を見上げる。
 ふいに見上げられて土方は動揺する。
 何か文句でもあるなら言え、と眉を顰めて土方はに凄み、はそれに動ずるでもなく一つ瞬きをするだけ。
 それから言われた言葉は、土方の思考を止めるのに十分効力を発揮した。
「土方さん、ほんまにモテはるねぇ」
「──…………は?」
 話の流れが判らない。
 何をどうしたら、そうなるのだろう。
 新しい煙草を咥えて火を点けて、土方は少し考える。
 色恋沙汰の流れに行くような話を直前までしていただろかと考えてみたが、心当たりはない。
「どっからそんな話が出てきた?」
「一緒に歩いてると、女の人がみぃんな振り返りよるもの。付き合うてる人の一人や二人、居るんやないの?」
「いねえよ」
 即答にが目を丸くする。
「……俺ぁ、女に縛り付けられるなんて御免だ」
 紫煙を吐き出し言った言葉は嘘ではない。
 だが、先に愛想を尽かすのは女が先だ。
 土方の異常とも言えるマヨネーズ好きに、付いてこれる女は居ない。
 我慢して付き合うことはできるし容認した振りはできても、付き合いが長くなれば遠慮がなくなり、土方に意見するようになる。
 健康を気遣うという大義名分は成り立つものの、ケチを付けられる土方からしてみれば余計なお世話だ。
 そうして結局、喧嘩別れなどへ発展する。
「人の趣味嗜好にけち付ける奴なんざ、こっちから願い下げだ」
「ふうん……」
 興味深げには土方を上目遣いで窺う。
「そうそう土方さんの嗜好についていける人は、居らん思うけど」
「別に無理して付き合ってくれとは言ってねえよ」
 言って土方は思い出して眉を寄せた。
 そういえばは煙草が嫌いだ。
 今日は出会い頭から遠慮なく吸っているが、どれだけ迷惑がっているのか計り知れない。
 顔を顰めることもたしなめることもしないので、すっかり忘れていた。
 今の状態では、土方にを無理矢理つき合わせているのと同じことになっている。
 そこに考えが行き着いて、そしてまた思い出した。
 別に土方は、に付き合うとは言ってないのだ。ただなんとなく流れに乗って同行しているだけで、お願いされたわけでもないのだから遠慮する必要もない。
 思い当たったことに気付くと、隣でくすくすと笑う声が聞こえる。
 横目で窺えばが可笑しそうに笑っていて、土方と目が合うとにこりと笑う。
「百面相。土方さん、結構判り易い人やねえ」
「……んだと?」
 山崎などを相手するときのように睨み付け、けれどは縮み上がるどころか益々笑いを深めていく。笑いながら自分の眉間に人差し指を置く。
 その仕草に、土方は自分が眉間に皺を寄せていたことに気付いた。
 慌てて眉間を隠すように手の甲を押し付けるが、勿論意味がない。
「店で吸われると困りますけど、今は特に問題あらへんよ。それに、」
 不自然に切れた言葉の続きを促すように視線を向けた土方の視線を無視し、は咥えられた煙草を抜き取った。
 人差し指と中指で抜き取った煙草を、慣れた所作で己の口元へ持っていく。
 ちりちりと煙草の先が音を立てながら小さな火花を散らして灰へと姿を変え、紫煙はの肺へと吸い込まれる。
 軽く窄められた口元から紫煙が細く空へと上がり、気が付くと煙草は土方の口元に戻っていた。
「煙草吸う土方さん見るのも、好きやし」
 前にも言うたなぁと笑われて、呆けていた自分に気付く。
「……おま、え……っ」
 喫煙できるのか、と問う言葉が続かない。
 動揺は明白で、しかしそれは行為自体になのか行動になのか、判断つかない。
 だが恐らくその両方だ。
 ゆえに、まず何を問い質すべきなのか戸惑う。
 は土方の様子に満足そうな笑みを浮かべ、口元に人差し指を付けた。
「他の人には、内緒」
 言ったところで信じて貰えない自信が土方にはある。
 落ち着けようと紫煙を思い切り吸い込み、嘆息と共に吐き出す。
「……誰も信じねえよ。俺も騙された」
「あら、失礼な。うちは煙草嫌いなんて、一言も言うてへんよ? あすこで吸うんは止めて、て言うただけ」
 言っても聞かないから、実力行使に訴え出ただけ。
 出会い頭の印象は互いに良くない。
「まだ隠してること、あるだろ」
 急に真選組副隊長土方十四郎の顔になって睨め付けるのを、はただ微笑を深くするのみ。
「さあ……。訊かれてないもんを、答えようはないやろ?」
 隠すつもりはないが、詰問もされてないのだから答えられない。
 一筋縄で行かないは、味方ではない。
 敵でないだけましなのだろう。
「ネタ上がったら覚悟しとけ」
「お茶と茶菓子用意して待っとります」
 微笑むの裏は読めない。
 だが簡単に墜ちないからこそ、やりがいがあるというものだ。
 土方は愉しげに口の端を歪めた。