煙草を吸いたいと思う瞬間。

 苛々する時

 気分が滅入る時

 気分を落ち着けたい時

 何かを成し遂げた時


 それから──





煙 







「総悟、どこ行くんだ?」
 刀の手入れも終えて縁側で一服していた土方は、背後を通って行く沖田に声をかけた。
 声を掛けられてぴたりと足を止め、沖田は振り返る。
「…………見回りでさァ」
「その不自然な間はなんだ。てめえまた和菓子屋行くつもりじゃねえだろうな」
「一般市民守るのも俺達の仕事でさァ。土方さん、男の嫉妬は醜いですぜィ」
「誰が嫉妬なんてするか! つうか否定しないってことは行く気満々じゃねえか!!」
 土方が叫ぶと沖田は大袈裟に肩を竦め、首を横に振る。
 その小馬鹿にした態度が益々土方の怒りに油を注いでいるのだが、それは百も承知である。
「土方さんも行きたいなら素直に行けばいいんでさァ。まあ誰もあんたのことなんざ待っていないと思いやすがね」
「誰も待ってて欲しいなんて言ってねえよ! サボりを公言してんじゃねえ!!」
「へえへえ。土産は持ってきやすよ」
「いらねえよ!」
 いつも通り軽く土方をいなし、沖田はさっさと行ってしまう。
 苛々と土方は新しい一本を咥えて火を点けた。
 深く吸い込んで肺から紫煙を吐き出すと、深呼吸効果も相まって少しずつ気持ちは落ち着く。
「まあまあ土方さん。お茶とお菓子で少し気を落ち着けてくださいよ」
「あぁ……」
 苦笑交じりの山崎が、土方の分と称してお茶と茶菓子を持ってきた。
 煙草を揉み消して茶を貰おうと視線を落とし。
 一瞬にして土方の米神に青筋が入る。
「……おい山崎。こりゃ何だ?」
「普通のほうじ茶と茶菓子です。 何か問題が?」
「大問題じゃねえか」
 湯飲みに入ったお茶はいい。
 問題は小皿に載った二つの茶菓子だ。
 満月色のまんまるの餡子菓子と、月と笹の烙印を押された薄皮の饅頭。
 どこで買ってきたか一目瞭然である。
「見回り行ってくる」
「あれ? 食べないんですか?」
 どうせ総悟も見回りと称してサボっているはずだ。
 とっ捕まえに行くのも暇潰しになる。
「いらねえ」
 どこぞの糖尿寸前の男ではあるまいし。
 ましてや、つい先ほどまで腹を立てていたのが沖田の行き先である和菓子屋だ。
 腹立ち紛れに食い散らかすのも大人気ない。


 *

 *


 すっかり定着した裏手の引き戸を軽く叩いてみたが、返事はない。
 一応声掛けをして戸を開けてみたが、珍しく人気がなかった。
 留守であれば此処に居る理由もなく、結局土方は言った通り見回りをすることになる。
 それが仕事の一環であるのだから問題はない。
 行く当てもなくぶらぶらと適当に歩き、喉の渇きを覚えたので自動販売機で缶コーヒーを購入した。
 腰を屈めて缶コーヒーを取り出し、上げた顔で見知った銀髪を見つけてしまった。
 用もないのに要らないものを見てしまった、と土方は舌打ちをする。
 見る気もなく眺めていると、いつもは周囲に纏わりついている薄桃色と黒髪が居ないのに気付いた。
 否、黒髪は居る。
 短髪ではなく長い上に、性別も違う。
「…………」
 別に不思議な光景ではないのだろう。
 昔馴染みであるという二人なのだから、同行することもある。
 ただどうしてか、土方の胸中はざわついている。

 立ち止まって談笑していた二人だったが、銀髪の男が何かを回すような手付きをし、どこかを指差した。
 道案内をしているようにも見える。
 こちらの方向を向いていたのだが、気付かなかったようだ。
 その内二人は手を振り合って別れる。
 和菓子屋店主が此方へと歩いてくるのを見て、土方は何故か逃げ出したい気持ちになった。
 何も後ろめたいことなどないというのに。

 苛々と眉間に皺を寄せ、土方は缶コーヒーを煽る。
 昼間から一杯やっているような風格だ。
「──あら、土方さん?」
 そのまま気付かず通り過ぎるだろうと、願いにも似た予想は外れ、声を掛けられてしまう。

 

 名前を口にしない代わりに、頭で苗字共々漢字を思い描く。
「珍しいところで会うな」
「そうやねえ」
 未成年者お断りな店が立ち並ぶ通りである。
 今は昼間なので奇抜な人間の姿も少なく、いかがわしいネオンも瞬いてはいないが、どうにも彼女には似つかわしくない通りだ。
「道にでも迷ったか?」
 先刻まで同行していたのが万事屋だ、そんなことはないと知っているのに思わず口が滑る。
 否定されると思っていた土方だったがしかし、は困ったように笑って頷いた。
「そうなんよ。丁度そこで銀の字に会うて道聞いたんやけど、土方さんに会えて良かったわぁ」
「そりゃ何か? 俺に道案内しろってか」
 嫌なわけではない。
 むしろ仕事の一つではあるのだから断るわけはないのに、つい憎まれ口を叩いてしまう。
 は土方の心情に気付くことはなく、笑みを浮かべたまま今度は首を横に振る。
「仕事の邪魔せえへんように、後ろからストーキングさせて貰うだけ」
「…………。何処まで送ればいいんだ?」
 不機嫌丸出しで街中を闊歩する土方の後ろから、にこにこと笑顔で付いてくる
 数秒想像しただけで恐ろしい光景だ。
 そんなことを現実にされるくらいなら、普通に送り届けるほうがましである。
「うちの店まで。散歩がてらあちこち見て回るんはいいけど、どこから来たのか、どこに歩けばええのか判らんようになってもうて……」
「自分の店までの道のりくらい、覚えろ。京の町のほうが入り組んでねえか?」
「碁盤の目ぇで整うてたら、幾つ目の角やとか覚えやすいんやけどねえ」
 方向音痴の気はないはずなのに、店並みや人が違えば少し道を外れただけでもう自分の居場所すら判らなくなる。
 知った道に近しいはずだと判っていても、自分の位置が判らないのでどこへ歩けばよいのか判らなくなる。


 此処で会ったのが縁の結び目、は嬉しそうに土方の隣で歩いている。
 着物姿のに合わせ、土方も幾分歩くペースを落としてゆっくりと歩く。
 まだ開けたばかりの缶コーヒーの中身は、を送り届ける頃には空になっているだろう。
「せやけど珍しいなぁ、土方さんが煙草吸うてないなんて」
「…………片手塞がってるしな」
 缶コーヒーを持った片手、何も持たずにポケットにしまいこんだもう一方の手。
 両手が塞がった状態では、何か非常事態が起こったときに対処が遅れる。
「ふうん? せなら土方さんの片手はいつもは煙草で塞げてるんやね」
「いつもってほどではないけどな。俺ぁ別にヘビースモーカーじゃねえ」
 ただなんとなく、癖になっているようなものだ。
「口寂しいん?」
「あー……まあ、そうかもな」
 初めての喫煙がいつだったかは覚えていない。
 気付いたらすでに煙草の味を覚えてしまっていた。

 食後、暇な時、張り込みをしている時、山崎や沖田とのやりとり後のむしゃくしゃした時。

 気分を落ち着かせる時などは煙草を吸う動作をすることで気を紛らわせ、冷静さを取り戻せる。
「でも土方さん」
「あ?」
「あんまり煙草の匂い、付けてたらお相手さんに気付かれてしまうよ?」
 喫煙を咎められるかと思えば拍子抜けするような発言をする。
 思わず土方はまじまじとの顔を見つめてしまう。
「……別に奴らも吸ってたら誰の匂いかなんて判断できねえよ」
 喫煙している浪士も少なくはない。
 確かに風上風下で居場所を知られる可能性はあるものの、今までそんなことを気にしたことはなかった。
 相手のほうだって、そんな匂いにいちいち気にしてはいないだろう。
「そうは言うけど、煙草も種類が違えば匂いも違うんよ? 同じ銘柄吸う相手なんて、可能性はそう高くないんちゃう?」
「そういやあんた、煙草の匂いは嫌いだったな」
 嫌いだからこそ、敏感に察することができるのだろう。
 どの銘柄かどんな匂いかなんて、いちいち気にして買っちゃいない。
 土方が僅かに眉根を寄せると、は何かを含んだように微笑んで首を横に振る。
「そう憎むものとはちゃうねぇ。煙草を吸う男の人は絵になって、見るのは好きよ?」
「あぁ……経験、か……」
 職業柄喫煙は好ましくはないが、眺める分には問題はない。
 匂いを敏感に嗅ぎ分けるほど付き合った数が多いかどうかなど、知る由もない。


 *

 *


 コーヒーも底を付き、も無事店の裏手へと送り届けることができた。
 空き缶は片付けるというので言葉に甘えて缶を渡し、土方は早速煙草を咥える。
 お茶を一杯でも、との誘いは丁重にお断りした。
「土方さん」
 役目は終えたと背を向けて歩き出した土方を、が呼び止める。
 振り返った土方はすぐ側までが近付いていることに驚いて目を大きくした。
 てっきり戸の前で見送っているものとばかり思っていたのに、土方の後を着いてきていたのだ。
 制服の二の腕辺りを掴まれ、不意を付かれて咥えていた煙草を抜き取られる。
「なっ、……っ!」
 何しやがる、と怒鳴るために開いた唇が柔らかいもので塞がれた。
 目の前には白い肌をしたの顔がある。
 閉じられた瞼が細かく震える度に、睫が小刻みに揺れる。
「…………禁煙したいんやったら、キスがええらしいよ」
 ほんの数秒、重ねた唇を離してがにこりと笑った。
「口寂しいんやから、キスで寂しさを紛らわせればええんやて」
「……」
 突然の出来事に反応しきれず土方は口を半開きのまま、を見つめている。
 は楽しげに笑いながら煙草を土方の口へ戻し、
「今はまだ火ぃ点けてなかったから、コーヒーの味やったねえ」
 言われて我に返り、土方は落ち着こうと煙草に火を点けた。
 動揺しているためにライターは不燃を起こしてなかなか火が点かず、漸く何度目かで煙草の先を赤くすることができた。
 深く吸い込んでから紫煙を吐き出し、まだくすくす笑っているを一瞥する。
「……望み通り、煙草の味を教えてやるよ」
「え? ──っ!?」
 頬に手をかけられたかと思えば、煙草を手に持った土方がと一気に距離を詰めた。
 先ほどが仕掛けたものより深く熱の篭った口付けは長く、漸く手放された時にはの顔は真っ赤だった。
 肩を上下させて土方を睨みつけるものの、上気した頬では威力は半減、むしろ誘っているようにしか見えない。
 それを見て土方は満足そうに口の端を上げると、煙草をふかし始める。
「あんた、意外と隙が多いな」
「なっ!? ちょ、どういう意味よ!?」
 羞恥で紅潮した頬で食って掛かられても怖くなく、むしろもう一度してやろうかと顔を近づければのほうが後ろでに半歩下がった。
「百戦錬磨には程遠いぜ? あんた。むしろこっちが素だろう。そのほうが好感持てるけどな」
「〜〜っ。ほんま、男なんて誰も同じやっ」
 その台詞はつまり、同じ事を他の誰かにも仕掛けたことがあるということだろうか。
 頭を過ぎった銀髪に目を眇め、一歩踏み出して今度は啄ばむような軽い口付けを落とす。
「禁煙したくなったら、アンタに会いに来ることにする」
「べ、別にそういう意味で言うたんや……っ」
「先に仕掛けたのはアンタのほうだぜ? それに素直に引っかかってやるんだから感謝して欲しいくらいだ」
 図星を刺されて口を開閉させているに、土方はくつくつと笑う。
 なんとなく総悟の気持ちが判った。
「土方さんは、意外とサドなんやね」
「総悟からうつったんだろうよ」
「送ってくれて、おおきに。ほな、さいなら」
 少し頬を膨らませ、は土方に背を向けた。

 名を口にしたのは、恐らく初めてに近い。
 激しくなる鼓動を無視して普段通りの顔を保つ土方の胸中など知らず、が振り返る。
「もう一度煙草の味が知りたくなったら、遠慮なく俺に言え」
「! ……っ別に知りとうわけやないから、期待せんといてっ」
 一気に顔を朱に染めて、はとうとう小走りで家の中へと逃げ込んだ。
 の小娘のような反応に可笑しげにくつくつ笑いながら、土方は紫煙を吸い込む。

 こういう喫煙理由も、悪くない。