名前は、いつでも口にできる。
 他愛のない話も問題ない。
 ではなんだろう、このやりきれなさは。

 何か物足りなさを感じるのは、何故だ。





小 さ い  は







「……ー」
「んー?」
 依頼が入らなければ一日中暇な銀時と違って、店を持つは忙しい。
 最近職人を雇って自由な時間ができたはずなのに、彼女はその時間ですら和菓子のことに夢中だ。
 パチンコをする金もなく、万事屋に居てもお登勢やキャサリンから家賃の催促を受けるだけ。
 逃げるようにして和菓子屋へ来たのはいいが、は机に向かって一心不乱になにやら書き付けている。
 家計簿か店の売り上げ票かと思って覗きこむとそうした類ではなく、季節の果物や植物等が書き込まれていた。
 新作の練り菓子を考えているらしい。
 色合い、造型、食べやすさ、見た目……。
 単純に練り菓子といっても簡単には行かないそうだ。
「なぁよぉ、さんよぉー……」
「何やろ、銀の字」
 結局いちご牛乳と向日葵を象った練り菓子で茶を濁された形で待ちぼうけを食らい、銀時は更に暇を持て余していた。
 こんなことなら神楽や新八と買い出しか定春の散歩、もしくは原チャリで一人ツーリングと洒落込めば良かった。
 畳の上で寝転がって天井を眺めていた銀時は思う。
ー……」
「んー? 何ぃ?」
 俺もう行くわ。
 その一言が続かない。
 さきほどから銀時は天井の目を数えながら、の名を口にしている。
 その度に面倒くさがらずは返事を返しているが、銀時はその先を続けない。
「……ー」
「どないしたん? 今日は。さきからうちの名前ばかり口にして」
 衣擦れの音が耳に入った。
 けれど銀時は動かない。
 目の端に白い足袋が入る。
 清楚な感じだが綺麗な柄や色物を履けばいいのに。
 ぼんやり思っていると、顔の横で腰を降ろしたが顔を覗き込んできた。
「昔と逆やないの」
「……何が」
 おかしそうに笑うを見返す。
 何が言いたいのか、銀時には予想もつかない。
「昔は、うちが銀の字の名前呼んでた。構って欲しくて呼んどるのに、銀は寝てるかこた達とばかり遊んでて」
「ヅラと遊んだ記憶はねえよ。つうかオメー、弟とおんなじ場所ばっか隠れてたよな」
 鬼ごっこ、隠れ鬼、逃げるときは手を繋ぎ、隠れるときは二人で一つ所。
 捕まえやすく見つけやすいと思えばそうでもなく、一人を捕まえようと手を伸ばせばもう一方が邪魔をする。
 そして何故かどちらか一方が鬼になることはない。
「銀の字は鬼になると、捕まえへんし、探しもせえへん」
「面倒じゃねえか」
 鬼ごっこで鬼になれば散った子供たちを見送ってその場にしゃがんで寝始める。
 隠れ鬼も同様、探す真似を一応はするものの、すぐに飽きて止めてしまう。
「そういうけど、逃げるときも隠れるときも真剣やったねえ」
 だのに逃げるときも隠れるときも真剣で、銀時は捕まえるのも探すのも一苦労なのだ。
「そりゃお前、誰が好き好んで捕まってやるかってんだよ。お前だってあん時捕まりたくなかっただろ?」
「そりゃあ、そういうものやもの」
 たかが遊びと言っても、子供にとっては真剣だ。
 どうすれば鬼から逃げ切れるか、隠れ抜けるか、必死で考える。
 その遊びの経験があってこそ、戦法や逃亡方法も考えられるのだ。
「だろお?」
 言って、無意識に銀時は手を伸ばす。
 視界に自分の無骨な手が入り込んで来てからぎくりとし、けれど途中で止めるのも癪でそのまま伸ばした。
 触れた頬は柔らかく、ただそれだけなのに奇妙な動悸がする。
「…………肉付きいいなぁ」
 思わず漏れた一言に、が明らかにむっとして頬を膨らませた。
「女性に対して失礼やろ」
「そういう意味じゃねえよ。お前もうちょっと俺にも余裕見せろ」
 立ち上がろうとするの腰に手を回して束縛し、銀時は膝に頭を乗せて重石とした。
 眉を吊り上げているを上目遣いで見上げ、銀時は下唇を突き出す。
 神楽や新八達がどれだけ我侭言ったり暴れても、文句一つ言わず笑顔で受け入れて対応する。
 だのに何故か、銀時に対してはこうして感情を露わにする。
 態度の違いに抗議しなければいけない。
「何言うてんの。昔散々甘やかせてあげたんやから、今更甘やかしたら付け上がるだけやないの」
「あー、そうだっけ? ……わかったわかった、俺が悪かった、な?」
 銀時を無視して立ち上がろうとするの腰に回した手であやすように背中を叩き、銀時はへらりと笑った。
 言われてみれば確かに小さい頃は甘やかされたようにも思う。だがそれは過去のことで、現在の話ではない。
 それに子供の頃も独特の肉付きの良さはあったものの、今は女性らしい丸みを帯びた身体付きなのだ。
 男の身体に触れるより柔らかくて繊細で、力を込めれば壊れてしまいそうな華奢さがそそられる。
 心なしか鼻を擽る香りも優しい。
「じゃあ、どういう意味なん?」
 聞いてやるから言ってみろとばかりに顔を俯かせる
「そりゃお前……、」
 見下ろすと目を合わせ、素直に気持ちを吐露しようとしてはたと気付く。
 今、銀時の両手はの腰に回り、勿論頭は膝の上。
 正面を見れば帯があり、畳に両手を付いて軽く伸び上がれば簡単にキスができる。
「…………」
 無言で見つめてくる銀時に、も何も言わずに視線を合わせる。
 どちらも時間が止まったかのように動きを止め、瞬きする余裕すらない。
「……
「ぁ……」
 腰に回していた手に力が篭る。
 右手を畳に付き、バランスを取るように銀時は伸ばしていた片膝を曲げる。
 吐息がかかるほどの位置まで、二人の顔が接近した。

 耳の奥で大きく鳴り響いている動悸が煩い。
 今耳にしているその心音がどちらのものなのか、はっきりと意識しないまま、二人の距離は徐々に狭まる。






 ぼーん、と少々間の抜けた音が部屋に響いた。

 



「──そうや、タイムセールっ!」
 一気に現実に戻ったが紅い顔をして銀時の手を振りほどき、立ち上がる。
 慌てて隣の間へ移動して出掛けの準備をするを眺めながら、銀時は胡坐をかき頭を掻いて壁掛け時計を睨み付けた。

 忌々しい──。

 こんな好機、願ってもそうそうやってこないというのに。


 *

 *



「ほな、行こか」
 財布を片手ににこにこと歩き出すの後ろから、荷物持ちに指名された銀時は付いて行く。
 昔は買い物に行くと言って手を繋いであるく二人の後ろ姿を見送った。
 暫くするとが振り返り、空いた手で銀時に手招きするのだ。
 嬉しいくせに『仕方ねえな』と言い訳して、その手を握る。
 結果的に端の二人が荷物持ちになるのだが、それでも楽しかった。
 ところが今はどうだ。
 空いた手はふらふらと揺れ、銀時は隣に並んで歩くことすらできない。
 その上、銀時が後ろから付いてきていると信じきっているのか、は一度も振り返ろうとしない。
 銀時が何かに気を取られて足を止めてもそのまま気付かず、歩き去ってしまいそうな後姿だ。

 思って、肌がいきなり粟立った。
 名前を呼ぼうと口を開き、けれど喉が引き攣って言葉が出てこない。
 乾ききった喉元を潤すために唾を飲み込もうとしたのに、口の中すら乾いている。
「──〜〜……っ!!」
 堪らず、銀時は揺れる手を奪うようにして握り締める。
 血の通う暖かな掌と柔らかい感触が、大丈夫だと告げている気がした。
「──っ」
 引かれて足を止め、は驚いたように振り返る。
「……銀?」
 急な行動についていけず、目を瞬かせて不思議そうに首を傾げた。
 何も不安がらない一対の瞳にほっとし、その直後、銀時は己の失態に気付く。
 わけもわからない恐怖に駆られて、いきなり手を握ってしまったのである。
 どうしたのかと訊かれても、答えられない。
「……っぁあーっ、とだなぁー。……オメーちゃんと安売りの店、知ってんのか?」
 無理やり顔を逸らして視線を外し、誤魔化すように喉を掻く。
「新八さんに聞いたから、心配せんでもええよ?」
「道、ちゃんと覚えてんのかって話だ」
 視線を合わさずしどろもどろ。
 心なしか上気している頬に、はくすりと笑う。
 迷子にならないか心配しているのだろう、と思ったのだ。
「大丈夫、知らん道に入ってもうたら、すぐに出て道聞くことくらい、知っとうよ」
 せやけどありがとう、と礼を言われ、銀時はが違う解釈をしているのに気付いた。
 しかしすぐに間違いを正す気もなく、そのまま流してしまおうと決意する。
 そのほうが、都合がいい。
「っ、ぃよし! そんじゃ銀さんが道案内してやっから、ちゃあんと覚えろよ? 物覚えの良い奴だからすぐに覚えられっだろうけどよ」
 道を教えるためには、はぐれちゃいけない。
 だから握った手は離す必要がない。
 自分に言い訳しながら、銀時はの隣に並ぶ。
 振り切られない手はそっと握り返され、口元が緩む。
(やべ……)
 どうしようもなく暖かいものが胸に広がり、銀時は口元を覆い隠した。
 子供の頃には当たり前だったはずなのに、どうしてそれが今になるとこんなに気恥ずかしいものなのだろう。
 見知った道すらどこか違って見える。
 中学生のような甘酸っぱい気持ちになる自分に少しだけ落胆しかけた銀時は、小さな笑い声に気付いてを見る。
「昔と同じやねえ。手ぇ繋いで買い物行くなんて」
「あー、そうだな。なんか三人並んで歩いてったよなー」
 大人がそれをやれば道幅を占領して邪魔臭いだろう。
 けれど子供が三人、しかも真ん中に女の子を挟みこんでいれば、その様子は愛らしい。
 微笑ましげに道を譲られることも多かった。
 過去を思い出して横を見ると、あの時はいつでも合った視線が今では下を向かなければ合わないようになってしまっている。
 それだけ時間が過ぎた。
 そしてそれだけの間、離れていた。
 その離れていた時間の分だけ、思い出が途切れている。
「なぁ、銀」
「んー?」
「また一緒に買い物付き合うてくれると、嬉しいわぁ」
 嬉しそうに笑うのは不意打ちだ。
 あからさまに動揺の色は見せなかったものの、銀時は言葉に詰まってしまう。
「……お、おう……っ」
 何とかそれだけ返し、上気した頬を見られないようにと銀時は早足になる。
「急ぐぞ。タイムセール終わっちまう」
「ん」
 口元に手を当てて小さな笑い声を立てるの手を、はぐれないように強く握り締めた。